喧嘩するほど/翔+幸

「ゆき〜〜〜ゆきゆき、ゆきちゃーん! 起きて! ゆき! おいこらっ、幸っ! 起きなさい! 起きろっての! 起きろ!! 昼過ぎてるから!! 邪魔だから!!!」
 と、翔が耳元近くで騒ぐので、無意識下の意識に身を任せるように腕を振り上げ、ガッ、と顔面を掴んだ。
「ふぎゃっ!」
 位置取りは完璧。見事に翔は幸の手で、正面から捕獲される。
「うる……っせ〜〜〜んだよ…………休みだろうが…………」
 蛍光灯の明かりを瞼の裏で感じながら、限界まで眠い旨を声色だけで翔に伝える。しかし、そんな程度で諦めたり怯んだりするような男ではないことを、他ならぬ幸が一番知っていた。
 いや、諦めろよそこは。寝かせとけ、俺を。
「離し……な、さいっ!」
 負けじと手首を掴まれて、引っ剥がされる。翔は小柄ではあるが、非力ではない。それこそ今まで、何度も道端で行き倒れた幸を、おぶって家や病院まで運んだ実績がある。喧嘩こそしないが、幸を連れて不良連中を撒ける程度の脚力もあるのだ。
 昨日も、そのお陰で――幸にとってはその〝せい〟で――あわやリンチ、という危機を回避した。幸はその事実が不満で不服でどうしようもなく、連れ帰られた翔の家で、ふて寝を決め込んでからの、朝だ。翔の部屋のベッドは、マットが硬めで幸好みだった。
 それなのに。 
「いいから起きなさい! 今日は晴天、洗濯日和! ベッドのシーツ替えるから!!」
 掴まれたままだった腕をぐいと手前に引かれ、無理やり上半身を起こされたかと思えば、脇下に腕を突っ込まれた。羽交い締めみたいな体勢で、ベッドからずりおろされる。
 そのままずるずると引きずられてリビングにポイと捨てられて、いよいよ幸の機嫌は地の底まで下がった。いくらラグの上とはいえ、床暖房が切られたフローリングは、あまりに冷たい。流石の幸も、寝そべったままでいては体温を奪われ過ぎてしまう。暖房は入っているが換気の為か窓という窓が開いていて、なんの意味もなかった。
 本日、日曜日。翔の両親は、日曜日必ずデートをする仲良し夫婦だそうで、午後一時手前の時点で、不在。
「今日はバレンタインだからね。朝っぱらから出かける準備して、超有名なレストランのランチ食べに行ったよ〜。半年前から予約してたんだってさ」
 シーツを洗濯機に放り込み終えた翔が、いつの間にか幸の傍に立っていた。両手にはグレーのマグカップを二つ携えていて、ローテーブルに静かに置かれる。
「ってことで、カフェモカ。飲みな」
「……」
 何が「ってことで」なのか。
 のっそりと起き上がり、マグカップを中を覗き込む。生クリームとチョコソースがたっぷりとトッピングされていて、ああなるほど、バレンタイン。
 心底どうでもいいなと思いつつも、甘い物は嫌いじゃない――どころか好きな方だ。遠慮なくいただくことにして、取っ手に指をひっかけた。
 ラグの上に座りっぱなしの幸とは違い、翔は右隣に回り込み、幸の背もたれ兼ソファに座る。流れるようにテレビの電源を入れ、軽いザッピングの後に、昼帯の情報番組にチャンネルは落ち着いた。そこでも、当たり前にバレンタイン特集が組まれている。客でごった返すデパートの催事フロアは、見ているだけで甘ったるい匂いが漂ってきそうだ。
 と、いうか。
 バレンタインなんだろ、今日。
「お前はこんなとこでのんびりしてていいのかよ」
 涼し気な顔でテレビを見ている翔は、それこそこういった行事を心の底から楽しむドのつくミーハーだ。本人は「愛情深いだけです」と言って憚らないが、別に相手が居ようが居まいが、バレンタインもハロウィンもクリスマスも正月も楽しんでいる。
 翔はとかく、友達が多い。ちょっとどうかと思う程に。恋人が居なかろうと、友達と遊びに行く予定ぐらい立てていそうなものだが。
「…………いきなり地雷踏んできたな…………」
 翔の返事は想像よりずっと重苦しい空気を含んでいた。声が、いつもより3オクターブは低い。思わず振り返る。
「は?」
「そんなの……。…………昨日! 振られましたけど。昨日。……昨日!!?」
 わっと両手で顔を覆い、泣き真似をする翔を、鬱陶しく思わない人間がこの世に居るのだろうか? 居るなら、是非会ってみたいものだ。
 当然ながら幸は、とてつもなく面倒で、鬱陶しく、もうこの会話をやめたいとすら思っていた。が、それをすると、後がいっそう面倒になる。翔が幸を誰よりも理解しているように、幸も翔を誰よりも理解しているのだ。
「お前一人だっただろ」
 とてつもなく適当な調子で返す幸に、翔は指の間から顔を覗かせ、キッと強く睨みつける。
「違うから! デートの途中だったの! 今日の前哨戦だったの!! なのに、お前が……お前が物凄いヤバげな喧嘩なんか……してるから〜〜〜〜っ!!」
 うわーんと顔を覆ったままソファに倒れ込んだ翔は、ジタバタと脚をバタつかせている。見苦しい。
「はあ〜? 無視しろよそんぐらい」
「そんぐらい……? バカ、そんなの無理に決まってんでしょ! 相手五人は居たじゃん!」
 ガバリと起き上がった翔に、強く抗議される。忙しすぎやしないか。
 それに、翔の言う通り、昨日は五人を相手にしていた。ならば、尚更無視するべきだろう。下手したら、巻き込まれて大怪我をしていたかもしれないのだ。
 けれど、この様子だと幸を見つけた瞬間、恋人を置いて一目散に幸の元へ駆けつけたに違いない。
 そりゃ、振られる。当然の結果だ。
「行動範囲被ってんのぐらい分かってんだろ」
「わざと被せてんの! ゆきが危なっかしいから!」
「ストーカー?」
「ヒーローだわ!」
「はっ」
「鼻で笑うな鼻で〜〜」
 ぽこっ、と頭を叩かれるが、痛くも痒くもない。別に翔に痛めつけられようと全く興奮しない自信があるのだが、翔もそこを懸念しているわけではなかった。
 結局、翔は幸にとことん甘い。絶対的な味方であり、圧倒的な保護者だった。ともすれば、実の親であるカオリ以上に保護者面をすることがある。
 まあ、面倒で、鬱陶しいことには変わりないけれど。それを嫌悪するようなことも、ない。
 ちっとも冷めないカフェモカをすすると「そのカフェモカだってさ」と翔が続けた。
「お前じゃなくて、あの子に飲んでもらいたかったよ……」
「実家に連れ込もうとすんなよ」
「いや、全然ラブホの予定だったけど」
「うっ……わ。お前のそういう話マジで聞きたくない。禁止。次言ったらぶん殴る」
「突然饒舌でムカつく〜〜こわ〜〜〜い」
 幸の脅しなど意に介さず、翔もカフェモカをすする。幸をおちょくることによって、昨日の大失敗に向き合う時間を減らそうとしているのは、火を見るより明らかだった。
 恋多き男は、別れ際も基本的に上手くやる。だから、昨日みたいな失敗には慣れておらず、どうしたらいいのか分からないのだろう。今、翔の頭の中は混沌を極めている。
 が、そんなことは心底どうでもいい。俺を巻き込むんじゃねえよ、の気持ちを込めて翔の脚を軽く叩いた。
「いたっ! えっ、何? 失恋に落ち込むお兄ちゃんに追い打ち……?」
「誰がお兄ちゃんだ気持ちわりーな。おら、行くぞ」
 よいしょと立ち上がった幸が、翔に声をかける。突然の幸の行動に、翔が元々丸い目を更に丸くさせた。
「へ? どこに?」
「さっきテレビでやってた催事。俺でストレス解消されんの腹立つし、買い物で発散しろ」
「……え、嘘……。幸くんって、俺の彼氏だった……?」
「…………きっ…………も………………」
「心の底から言うな。でも、言った俺もちょっと鳥肌立っちゃった」
 うえ〜〜〜、とわざとらしく身震いして、しかし先程よりは随分とマシな表情になっている。翔も立ち上がり、ちょっと待ってて、と自室へ荷物を取りに行った。
 その様子を見届け、幸はよいしょとソファへ座った。
 パタパタと小走りでリビングに戻ってきた翔は、幸の姿を見て頭の上にクエスチョンマークを載せる。
「っていうか、幸はまず着替えてよ。寝癖も直して!」
「必要ない」
「いやいや、寝間着用のスウェットで外歩かせたくないんですけど」
「いい。俺、外歩かねえもん」
「は?」
 ソファにごろりと寝転がった幸は、呆然とする翔をチラリと見上げて、口角を上げる。
 ひらりと手をあげて、パタパタと振った。
「いってらっしゃい。ヒーローのオニーチャン」

 🍫

「ってことがあったのをね、この時期になると思い出すわけ。あの時の幸の、憎らしい顔ったら、なかったね……」
 samossでの仕事終わり、翔に連れられて入ったレストランで、チョコケーキを口に運びつつ翔が唸った。バレンタインの思い出話に花を咲かせていた流れでの、ちょっとした昔話。
「え、それ結局、宇月さん一人で行ったんですか?」
「行った。そんで、ゆきにめちゃくちゃな量のチョコをお土産に持たせた。腕が千切れるぐらい重いやつを……」
「ど……独特な仕返しっすね……」
 いやそれ結局死ぬほど可愛がってんじゃん! と、ほんのちょっとだけ羨ましいような、なんとも言えない気持ちになってしまう真田だ。
 明日は、魔のバレンタイン。登校したら机に山積みになっているであろうチョコのことを考え既に憂鬱になりつつも、どうにか鹿嶋と過ごせやしないだろうかと考えている。甘いもの好きなら、釣られてくれるかな。一緒に食うの、手伝ってくれ、とか?
 まさか明日、自分が大変な目に合っているとも知らず、真田は混沌とした気持ちで食後のコーヒーをすすった。うわ、苦っ。

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ということでバレンタインネタでした。
バレンタインなのにさなかしでも翔直でもなく、翔と幸……笑。
このあと3巻描き下ろしのバレンタイン媚薬話にふわっと繋がります。

翔と幸、昔話もネタストックだけは沢山あるので、地味に消化していきたいですね。
この二人が持つ、家族として暮らしてきたからこその距離感や空気感みたいなものが好きだなと思います。

改めて、ハッピーバレンタイン!

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