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"解る"に最も大事なのは"臨場感"なのかもしれない

お久しぶりでございます。私です。

我社は12/20を最終出社日としてまして、現在絶賛リモートワーク中(なんたるホワイト)につき、故郷の福島ではなく去年同様仙台からお届けします。だって年末になると飛行機も高くなるし新幹線も大幅に込み合います。更には渋滞もとんでもないではないですか。皆がおかしい、と思うものはどんどん直して行きたい所存です。できる範囲でね。

さて、表アカで家族の話などは皆無に等しいのであまりにプライベートが謎、と言われるのですが、私には2人のそれはそれはかわいい愛娘がおります。目に入れても痛くない、というのは嘘だけど、その言葉を考えた人の気持ちは痛いほどわかるつもりです。

まさか自分が…とは今でも思うのですけれども、上の子が小学校受験を迎え、「得意なほうが得意なものを担当する」という我が家の方針が仇となり、教育担当として拝命され孤軍奮闘していたのが正に今年でした。仕事のない土日にはお受験クラスに連れていき、日中は授業に付きっきりで子ども共々、本当に多くのことを学びました。なんなら、僕の方が授業を楽しみにしていたくらいです。

中学校受験になるとリアルな詰込みが待っていますが、小学校受験のフェーズでは詰込み要素は大分薄く、どちらかというと発想や着眼点、取り組む姿勢などに重きが置かれていたと思います。勿論、目指す小学校にもよるのでしょうけども。これが僕に大きな学びを与えてくれました。

見たことがないものを自分事化することは出来ない


子どもは聞いたことないことは答えられないですし、見たことがないものを想像することが凄く苦手です。しいて言えばピュアです。それは大人の僕らが思う以上に。それを前提として書きます。

受験対策を始めた当初のテスト問題の中に、積み木を積み重ねた図がありました。

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こういった形の問題です。問題は、「パンダさんから見える積み木の図を書きなさい」といったものです。このくらい余裕だろうとたかをくくっていた私は、この問題で数日犠牲にしてしまいます。誰も教えたことのない計算問題や数え問題などを難なくこなしていた我が子が、口頭で出来るだけ丁寧に説明してもこの問題が何度やっても解けない。

そんな時期に仕事関連で「本質的な意味において"解る"、ということは"臨場感"を得たということだ」というフレーズに出会い、ハッとします。

すぐにAmazonにて積み木を購入し、実際にパンダの視点になって積み木を見てもらうと、彼女の顔が明らかに変化するのが見て取れました。それ以降彼女は図形の問題をほとんど間違えておらず、更には全国小学受験統一模試で図形関連の項目では一桁に入るくらいまでになったんですね。

今考えれば解けないのは当然だったんです。彼女にはパンダの視点で物事を見た経験がなかった。それで臨場感を醸成できるわけもありません。見たことがないものを自分事化するなんて不可能に近い。(ほとんどのケースで)

この臨場感を得ていない時期に教育側が声を荒げたり、激しく詰めたりすることはむしろ逆効果で、失敗の恐怖におののき、萎縮し、失敗を恐れ、挑戦をしなくなり、わかったふりをして、嘘を付きます。教える側は常に相手の臨場感がどこで醸成されるのかを忍耐強く観察する以外に道はないのです。

であるとするならば、これはすべてのもの事にも言えるのではないか?

臨場感を得るということは、意識を現状の外側に持っていくということ

少し話はそれますが、先日、こんなtweetをしました。

社会人一年目に「貯金はするな」と教えられました。この真意は解りませんが、僕にとっては20年弱の社会人生活の中で最高の教えの一つだったと思います。感謝してもしきれません。

大人になると良くも悪くも多くのことを知ります。その結果、固定概念に縛られ、思考が保守的になり、現状の延長線上でしか物事を考えにくくなります。現状を維持しようとするホメオスタシスのフィードバックは体だけにではなく、思考にも宿るのかも。だからこそ、半ば強制的にでも自身の思考の外側に意識を持っていくことで新たな思考を手に入れることに価値があるのだと思います。

それこそが、体験であり、臨場感を得る、ということだと思うのですね。貯金をせずに体験にお金を投資するというのはその最も手軽な手段の一つなのだと感じます。

※何度かお仕事したことのあるスーパークリエイター達は自身の中で勝手に臨場感を醸成します。これは一種の特殊能力であって再現性はありませんので参考にしない方がいいですね。天才はいるのです。

やる気スイッチとは、臨場感を与えること

話を戻します。「やる気スイッチ」というCMが一時期話題になりました。臨場感の話を聞いたときに、真っ先に思い浮かんだCMです。

組織に所属する以上、求められた成果を上げるのは至極当然のことです。しかし、人にはそれぞれの「やる気スイッチ」があるのでしょう。その正体こそが臨場感を得るということなのだなと。臨場感を得ると学びが加速度的に進化します。それはもう目を見張るかの如く。

まとめ

こういったさまざまな事象の中で感じたのは、一つの事象を教えるにしても、その人の臨場感を感じる箇所を見つけ出し、根気強く伝え続けるくらいでなければ本質的な意味において教育などできないのだなと思ったのでした。勿論、それが最も難しいことは言わずもがな。

特にオチはないですが、教える側、伝える側は常に忍耐強く「どうやったら臨場感を与えられるか?」を意識するだけで、結構変わるなんじゃないかなと思うのでした。

※当然ですが、教えられる側も正しく’ジタバタする、もがく’のは絶対条件です。これがなかったら誰も向き合ってはくれないですからね。

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