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蒟蒻かスポンジか

いえ、その先にあるのは理解のようなありふれた言葉のシステムの類ではなく、有機的な予感をさせる没入の総形態なのだ。 言葉の有機的苦痛を前にして、しかしそれはそうあったのだという抽象をチラつかせて、まるで後戻りできないような皮膚を見つけてしまったとしてもそれは外付けの腐食ではないです。 例えばある人が突然別人の言語を使うように見えたとき、伺われていたのか自意識の以前にそれが自然でありうる印象を組むのではなく、私ではなかったという原理的な葛藤を溶かせば、いつの間にか忘却の快感が退

    • なぞのばしょに行けない

      理想的なリズム感を取り返そうとする様な生活のパターンは、物事をバグで解決する様な無謀さがある。 試されていないパターンをやるといったことの方がずっと進歩的で、それは基本的には何においてもそうなのだと思う。 生活を考える時、こういった基本的な事を忘れてしまいそうになるのは、大抵が理想的なリズム感に囚われているからで、そんなものはセンスに任せていると大変になったりします。 どれくらいの時間に寝て、何時間寝て、寝る環境はどういうもので、起き上がって最初にする事等。いくつものシミュレ

      • 消しゴム

        有限性という感覚の確保は文明下での人間的な感覚として密接だが、私はそれが日に日に乏しくなっている。そうなると身体での計算が難しくなる。 簡単な計算、寝る時間はどれくらいにするだとか、そういうことを頭で整理したあとに有限性を身体に計算させることによって、一日の生活のフォーマットが導ける。有限性の観念を持って生活を組み立てようとする場合、どうにもこの身体に翻訳する過程が省けない。無計画な人間にできることは、少しの偶然に任せた日記くらいである。

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