今更ながら、ゲーム・オブ・スローンズの結末について考察① 鉄の玉座の象徴性

 この記事を書いている時点で、ゲーム・オブ・スローンズ(以下、GoT)の最終配信から一年以上経っている。大方はロスもとっくに癒えている頃だろう。衝撃のエンディングをリアルタイムで味わうことができなかったのは、返す返すも残念。実は随分前に一度視聴しかけたことがあったけれど、残虐シーンがことさら苦手な私は、初っぱなでくじけました。しかし最近、風の吹き回しで再度トライし、残虐シーンはひたすら早送りしてみた(結構な割合を早送りしたことになる)結果、見事にはまり、暇さえあれば貪るようにGoTを視聴して、ついにコンプリートした。

 爾来、ぐるぐる考察が止まらない。何故、このようなエンディングになったのか???この余韻から抜け出しまともな社会生活に戻るためのデトックスとして、また自身の備忘を兼ねて、時宜を逸していることは重々承知ながら、駄文をしたためます。

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※ 以下、ネタバレを含みます。

※ 当方、原作は未読です。また参照した考察もごく僅かです。罕見が及ばず、既に別の方が同じようなことを書かれている可能性もあります。ご存知の方はお知らせいただければ幸甚です。

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エンディングへの批判と第8シーズン制作をめぐる大人の事情

 結末に不満を抱くファンが撮り直しを求めて署名を募り、100万人分が集まったという最終シーズン=第8シーズン。エピソード数も従来に比べて少ない全6話の中でストーリーが急激に展開し、圧倒的に尺が足りない感は否めない。その背景として、GoT放映中の2010年代にテレビからネット配信への移行が進み、制作元のHBOがGoTという巨額の予算を費やす作品をさらに長編化させることを大きなリスクと見做して打ち切りを決定したからだと聞く。そもそも第6シーズン以降はテレビ版が原作小説の刊行に先行していた(ただし構想は原作者から聞いていたらしい)。そこへ持ってきて急な打ち切りにあわせたため、原作者にも不本意な内容になったという。

 シーズン7・8では話の辻褄合わせのため、GoTシリーズの醍醐味であったはずの丁寧な人物造形・真実味のある心理描写が形無しになっているとか、説明不足とかといった批判は、残念ながらもっともだと思う。その一方で、話の見せ方が成功しているかどうかと、プロット自体の妥当性は別問題だとも思う。そして、私にはこのプロットはこれで”あり”じゃないかと思えた。個人的な好みはひとまず脇におき、幾つかの点について、制作者の意図を推測・考察してみたい。

「GoT最大の敵=暴力装置に依拠した絶対王権と、その象徴である鉄の玉座」である可能性

何故、夜の王との対戦より、王都のサーセイとの対戦(実質は一方的殺戮)がクライマックスなのか?

何故、デナーリスは激しい衝動に突き動かされ、王都で非人道的な大量殺戮に走ったのか?

何故、シリーズを通してヴィラン中のヴィランであったサーセイに、考え得る最悪の死に様ではなく、愛するジェイミーの腕の中で最期を迎えさせたのか?

何故、ドラゴンは鉄の玉座を溶解したのか?

何故、最終的に王位についたのがシリーズを通してのヒーローであったジョンではなく、ブランこと三つ目の鴉なのか?

・・・等々、劇中で説明されていることも説明されていないこともあるけれど、不自然に見えたり議論が多い点は、こんなところだと思う。

 これらは全て、「GoTのラスボス=暴力装置に依拠する世襲絶対王権と、その象徴である鉄の玉座」と考えると、矛盾なく説明できるのではないだろうか。これまで視聴者はGoTを「誰が最期に鉄の玉座に座るか」をテーマとした物語であると信じ、その行方を固唾を飲んで見守ってきた。しかし、最終章でその物語はひっくり返され、”Game of Thrones=玉座をめぐるゲーム”の終焉は”The Throne" こと鉄の玉座の終焉であることが明かされた。鉄の玉座こそ、壮大な群像劇の真の主人公だったのだ。この脱構築的な語りの変化を受け入れられるか否かが、最終章への評価の分かれ目になったのではないだろうか。

鉄の玉座の象徴性

 鉄の玉座を造ったのはターガリエン王朝の祖にしてドラゴンの使い手であったエイゴン征服王で、彼が倒した数多の敵の剣を最強のドラゴンの吐く火で溶接したという。無数の剣が林立する禍々しいビジュアルは、強大な軍事力に基づく絶対王権の象徴として誠にふさわしい。

 王位につくことを、英語では「玉座に坐す」もしくは「王冠を戴く」と表現する。鉄の玉座が溶解された後で次の王を選ぶシーンでは、当然ともいえるが、「玉座に坐す」という表現は用いられず、「王冠をつける」という表現がとられる。「玉座」と「王冠」が、全く異なる王権のあり方を象徴しているのである。

 GoT世界において王冠 Crown は、代々受け継がれるものではないようだ。それぞれの王の頭囲と好みに合わせたデザインになっているらしい。また、全般に軽く、バンド型に近い実用的なデザインが採用されている。現実の歴史では、戴冠式の際に特別に代々使用する冠があり、権威を強調すべく重く、大きく、豪奢ではあるが、あまりに重いため長時間の着用には耐えない(或いはそもそも着用は想定せず、儀礼の間だけ別に固定する)。王冠は、大きくするには限度がある。あまりに大きく重い王冠は、王を押し潰す。自分に合わない王冠は、つけることができない。軽い王冠は、世襲制ではなく、一代限りで交代する王権の象徴である。

 それに対して、大きく、不動で、堅固な玉座は代々受け継がれるモニュメントである。鉄の玉座に座ろうとする者は、武力と血筋を拠り所にする。鉄の玉座は、デナーリスが壊そうとしつつ自らも囚われた「権力の輪」そのもので、覇権闘争を生み出す磁場だ。狂王やサーセイ、デナーリスという個人を超え、「家」や「時代」すらも超えて、そこにある。鉄の玉座が存在する限り、その座を狙う次なる暴君が必ず出現する。

ドラゴンが鉄の玉座を溶解した意味

 ジョンによるデナーリスの刺殺と、その場を目撃し怒ったドラゴンによる鉄の玉座の溶解は、一連の出来事であった。というより、一連の出来事でなければいけなかったのであろう。

 ターガリエン王朝の正統性は、以下の三位一体から成り立っている(おそらく)。

   ・王(王家の血筋をひく者)=ここではデナーリスとジョン

   ・力(軍事力)=ドラゴン

   ・征服の記憶/象徴 =鉄の玉座

 ならば、ターガリエン王朝を終わらせるには、この三位一体を解体する(或いは結びつきを未然に防ぐ)必要があったのではないか。さらに禍根を最小限にとどめ次代への移行をスムーズにするため、三位一体の解体はターガリエン王家の外部からではなく、内部から行われる必要があったのだろう。

王(デナーリスとジョン): まずは王家の血をひき、王位につく決意が固かったドラゴンの女王・デナーリスが殺される。デナーリスに直接手を下したのは、恋人にして甥のジョンであった。ジョンの本名が征服王と同じエイゴンなのも示唆的だ。ジョンはデナーリスより王位継承順位が高い上に、自身の功績によって北部で王に擁立されており、奇しくも唯一、名実ともに女王殺しを正当化できる立場の人物だった。しかも、ジョンはもともと王位への野心をもたなかった上、デナーリスを殺した罪から王位への可能性が完全に絶たれる。ジョンは追放され子孫を残すことも許されず、ターガリエン王家の血はジョンを最後に絶える運命になった。

(ジョンは結局、最初から最後まで古典的な悲劇の英雄だった。)

力(=ドラゴン): ドラゴンはターガリエン王朝の力の源泉であり、まるで核兵器のように一歩使い方を誤れば敵味方を等しく滅亡に追いやりかねない危険な軍事力そのものだ。ジョンにはドラゴンを使うターガリエンの血が流れているとはいえ、「母」であるデナーリスを殺した以上、ドラゴンは決してジョンのために戦うことはないだろう。ジョンだけではなく、他の王のためにも。核兵器の操作ボタンが無効化されるように、使い手を失いドラゴンは使用不可になった。

(深読みすると、3頭いたドラゴンのうち、唯一生き残ったドラゴンの名がデナーリスの最初の夫・ドロゴに因むドロゴンであったのも示唆的。デナーリスより先に死んだ2頭は、デナーリスの兄達=ダーガリエン家の男子の名がつけられていた。)

象徴(=鉄の玉座): ターガリエン王朝の征服の記憶/象徴である鉄の玉座を造ったのは最強のドラゴンの火だったという。その破壊者が、(少なくとも3頭のドラゴンの中で)最強のドロゴンでなければいけなかったのは肯ける。ジョンに向けて火を吐くかに見えたドロゴンが、にわかに方向を変えて鉄の玉座に火を吐いたのは何故か、劇中では説明されない。ドラゴン自身の意志であった可能性もあるが、ブランがドロゴンに乗り移ってドラカリスの標的を玉座に変えた可能性の方が高いのではないか。ドロゴンがジョンから首を背け鉄の玉座に照準を定めるまで、時間がかかっている。初めてドラゴンに潜ったブランがすぐには上手く統御できなかったからではないか。また後日、姿を消したドラゴンの行方について、ブランが見つけられるかもしれないと言っていることも、ブランがドラゴンに潜れる可能性を示唆しているように思う。

 デナーリスの意志により王都はドラカリスで壊滅され、民心はデナーリスから離れた。ドラカリスによって玉座が無に帰したのは、行き過ぎた武力行使により王権の正当性が失われたことのメタファーでもあるのかもしれない。

「鉄の玉座」破壊後、新しい王権の構想

 第二次世界大戦への反省から新たな世界秩序のあり方が構想されたように、GoTでもデナーリスの死後にして鉄の玉座の破壊後、ティリオンの主導で新しい王権のあり方が構想された。ティリオンは言う。「人々を団結させるものとは?軍?金?旗?いや、物語だ」という。そして、最良の物語をもった人物として、人類の過去と現在を見通す能力を獲得したブランを新王に推す。

 新しい王権を支えるのは、軍事力でも、経済力でも、政治力でもあってはならない。「力」で人々を強制的に服従させるのではなく、広大な王国の様々な階層の人々が等しく共感し、自分がその一部であると思えるような物語を提示し、自発的な団結を求めるのだという。

 ブランの立ち位置は、神聖王のそれだ。大方の政務は小評議会に任せ、ほぼ関わらない。神聖王の務めは、常人に見えない災厄を察知し、予防することである。そうすると、やはり鉄の玉座の溶解にはブランが関わっていたと見るべきだろう。傍目にはブランは終始車椅子に座ってヴィジョンを観るだけでどの戦いにも参戦していないように見えるし、ブラン=「三つ目の鴉」は人間的な感情は持たないようだが、人類の記憶を司る以上は人類の行方に責任を負っている。人間界の現実とは別の次元、象徴的・魔術的世界のレイヤーで、ブランにはブランの戦いがある。メリサンドルの行動基準が常人の物差しでは測れないにせよ、生者のために自身の命を賭して独自の方法で戦ったのと同じように。

 絶対的玉座不在の王権を維持するのは、決して容易ではないであろう。民主主義を維持するのが容易ではないように(サムが民主主義を提案したが、中世的なGoT世界には早すぎたらしく、一笑に付されて却下されてしまった)。常に我慢強く話し合い、譲歩、再検討を行って、メンテナンスをしなくてはいけない。いずれは後継者争いが起こるリスクも高い(非世襲制を提案したティリオン自身、かつてはデナーリスに早く後継者を指名するよう迫っていたことが思い出される)。それでも、ゲーム・オブ・スローンズを生き残った貴族達は、軽やかな王権に賛同した。生き残り、特に新たな小評議会に参与する人々は、旧体制下で周縁的立場から出発し、それ故レジリエンスが人一倍鍛えられた人々だ。(民主主義がない世界で)広大な王国を統治するための体制として、非世襲の神聖王を戴く貴族の合議制は(少なくとも当面は)最善の選択肢だったのだろう。

エンディングから逆算された筋

 おそらく制作者は、結末で鉄の玉座が破壊され、古い王権の形から新しい形の王権に移行することを最初に決め、そこから逆算して途中の筋を組み立てたはずだ。長くなったため、その検証は次回に譲る。


 


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