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『地球家族 (ピーター・メンツェル)』【読書ログ#27】

荷物を持って家に帰ると、子供達が寄ってきて「パパまた本買ったの? 何冊買ったの?」と聞いてくるようになった。

妻が、本を増やし続ける私の行動に対し、あれこれと突っ込みを続けるので、それを見ていた子供達が真似をするようになったのだ。

あまりに毎回突っ込まれるので、ちょっと後ろめたい気持ちが芽生えてしまい、ある日、スーパーの袋の中に購入した本を入れて帰宅したのだが、たまたまそれが見つかってしまった。以来、スーパーで買い物をしただけなのに「本増やすの?」と聞いてくるようになる。大失敗。

とはいえ、家族で暮らしているので、家が本で溢れかえるビブリオフィリア的な方々とは違う。それなりに節度を持っている。

だが、荷物として並べると、質量的には半分以上が本になる。仕方ない。

引っ越しをすると、スタッフの顔が曇るが、実害といえばその程度だ。

「申し訳ありませんが、家の中の物を全部、家の前に出して写真を撮らせて下さい。」

もし、こう言われたら、我が家では本が並ぶ事になるが、他の家ではどうなるだろう。何かしら個性は出てくるのだろうなとは思うが、家電類や衣類、食料品は、どの家庭でも最低限揃っているだろう。冷蔵庫が無い、というのは万人に一人居るか居ないかの断捨離ミニマリスト変人位だ。

『地球家族』の撮影隊は、30ヶ国で家族を捕まえ、家中のモノを全て外に出して写真を撮った。

ごく普通の人々が生活に使う物質を、家具も、食器も、衣類も寝具も、家電もなにもかもを外に出し、1枚の写真に収める。

そうやって出来た写真は、その家族の全てを表現するし、その国の社会状況を知らせてくれるし、格差が放置されている世界の状況を見せてくれる。

本書には、撮影された1994年の統計の数字も出ていて、それはそれで様々な事を教えてくれる。しかし、この写真の表現を見てしまうと、まとめて、まるめた統計の数字が如何に虚しいことか。

写真の説得力が凄まじい。数字では見えてこない生活のディテールのもつ圧倒的な説得力が凄まじい。

撮影された国は次の通り。マリ、南アフリカ、エチオピア、クウェート、イラク、イスラエル、スペイン、イタリア、ボスニア、アルバニア、ロシア、ドイツ、アイスランド、イギリス、アメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジル、ハイチ、キューバ、グアテマラ、メキシコ、西サモア、ベトナム、タイ、インド、ブータン、ウズベキスタン、モンゴル、中国、日本。

夏休みに入った子供達の暇つぶしにと一緒に読んだが、猛烈に食いついていた。

子供達は、何度も読み返しながら、冷蔵庫が写っていない国が多いことに驚く。そして、子供が居る家庭なのに絵本の無い国が多い事に驚く。

「うちがこの写真撮ったら、ほとんど本だから面白くないね」と長女は言った。自分で言うのもなんだが、本に囲まれた生活をしているというのは、凄まじく恵まれた環境だ。

「本を読めるってだけで幸せなんだ」「ここで寝転がりながらこの写真を眺めているというのは実はとても恵まれているのだ」と伝えると、素直に受け止めてくれた。

写真を見ていくとわかるが、ほとんどの国の人々の生活は、『生きる』ことが目的になっている。それに比べ、ヨーロッパやアメリカ、日本などでは、生活は充足しており、日常の生活においては『楽しむ』事が目的になっている。

経済的に豊かになるということは、生活の質が改善されるということだ。当たり前だがとても重要。ひとまず衣食住が満たされると、衛生的な環境が手に入り、病気や感染症から遠ざかり、生活活動の中心は『生きる』から『人生を楽しむ』にシフトする。

子供が「日本でよかったよー」という素直な感想を言う。それについて、野暮なことはいうまい。いまは、この『地球家族』で表現される経済格差や文化の差が有るという事実、そのことがわかってもらえたら御の字だ。

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。