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『日本人のための日本語文法入門』(原沢伊都夫)【読書ログ#171】

『日本人のための日本語文法入門』(原沢伊都夫)

日本語という言葉を、世界に数多ある言語のひとつとしてとらえたときに、どのような文法解釈を行えば良いのか? という点で日本語文を説明したのが本書だ。なに言ってんの? って感じでもうしわけないのだが、日本語を従来私たちが学校で習ってきた文法とは別の枠組みで理解しようとしているのが本書で、それはそれは、とても好奇心を満たしてくれる内容なのです。

まず、本書で扱われてる文法は、日本の学校で国語として習っていた文法を、本書では「学校文法」として、本書で説明している「日本語文法」とは別モノとして定義する。

「学校文法」は日本人だからこそ理解できる日本人の為の文法であるという話から本書は始まるのだが、では、日本人の為の文法とはいったい何なのか? 「学校文法」とは、古典からの継続性における形式を重視しているので、古典文法からの流れで現代国語の文法をとらえている、という事になる。よって、言語学的な整合性は重視されていない為、日本語がネイティブではない学習者にとっては、ルール無用の暗黒デスマッチ状態で、非常に理解の難しいものになっているそうな。

そこで、現代の日本語を理路整然と、簡潔に、合理的に理解するための文法が必要ということになり、「日本語文法」というものが「学校文法」とは別にうまれたという経緯だ。

なんだか堅苦しい話になりそうだが、全然そんなことないのが本書の素晴らしいところ。のっけから、日本語文の中心となるものは述語であり、主語はさして重要ではないという話から始まりワオーとなる。日本語文は「主語+述語」の関係では説明できないとまでいう。へぇぇ。

そんな感じで、ビックリするけど読めば納得な内容が続き、好奇心をこれでもかとくすぐってくる。説明もとても分かりやすく、「日本語文法」と「学校文法」の違いや、「日本語文法」と「欧米言語の文法」の比較を提示しながらの説明になっていてとても分かりやすい。

そして、一番感じ入ったのは、日本に住む日本人の社会のありようや、コミュニティのありようが、そのまま言葉や文法に表現されているということがよくわかる点だ。言葉の構造は、その言葉を使う話者の価値観や考え方を自然と縛るものになっているのだなという事がよくわかる。

日本語と英語で人格の変わる方ってのは多いけど、それもそのはず、使う言葉が違えば伝え方も何もかも変わってしまうのだ。

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。