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生まれたくて生きているわけじゃない。

「なあ、あそこにはいきたくないよ。」
私は「それ」に向かってつぶやいた。こんなことつぶやいても変わりはないのはわかっていた。
私はもう少しで出荷される。この世に生まれ落ちようとしているのだ。
そのことは「それ」の意志でどうにかできるものではないことも知っていたし、ましてや「それ」が意志あるものかどうかも検討がつかなかった。
しかしながら私は生まれようという気にはなれなかった。
生まれるところが気に入らなかったわけではない。
私はすでに、下界そのものを疎んじていた。
「生まれたいという子がいたの?だれもいないよ。ただ「あなた」がすることを、そういうものなんだ、と、丸呑みにしているだけだろう。」
私は「それ」をにらんだ。それは大きすぎて、どこをにらみつければいいかわからないし、私には目もない。それらは生まれたら手に入るもの。
どうやってか、私は「それ」をにらんだ。つもりになった。
「それ」からは、どこか困ったような気配が感じられた。「それ」もまた顔すらなかったから、そんな気がしただけかもしれない。
そうこうするうちに、私の下界へ行く時は迫っている。
「生まれたくない」そんな思いは強く。
声にはならず。声もまた、生者の物。
「では…私は」

最後にわずかにあがく気配を残し、私は生まれていった。

そして、生きることに全力で抗うこととした。


「オイっ!泣いてないぞ」
医者は赤子の足を掴んで、さかさまに吊るした。そのままゆさゆさとゆすぶる。看護師も医療機器も、警戒の声しか上げない。
それでも泣かぬ赤子に、医者は焦り、べしべしと体中をひっぱたいてやった。
それでも赤子は泣かない。
それは命にかかわる。
(ああ…これで…)
私は生きることには抗ったが、この先どうなるかは知らなかった。ただ生きることから逃れられることに一抹の安心感は抱いていた。
しかし、それを一人の女が吹き飛ばした。
「先生!へその緒が!」
「何?」
「赤ちゃんのへその緒が、首に巻き付いています!」
気づかれた。
「クソっ、こいつか!」
医者が首に巻き付いたへその緒をほどく。
私の目論見は外れた。
仕方なく、仕方なく私は、
「ああ、ああああああ」
泣き始めた。
喜びに沸く分娩室で、一人泣いた。
私が泣けばなくほど、周囲は喜んだ。
生まれた時から、私と世界にはこんなにも齟齬があり、私は世界に一人ぼっちだった。
仕方なく、仕方なく生まれ、泣くことしかできなかった。
この先に起こることも知らずに。

こうして私の最初の自殺は失敗した。

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