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胎内記憶教育から学んだ 今の私がつくられるまで(幼少期編)

最近、友達や仕事先の人たちと色々話す中、自分の幼少期についての話しをすると、ビックリされることが多々あります。

到底"今現在の私"とは全く想像がつかない"昔の私"

興味を持ってくれる人が続出なので、こんな風に"ワタシ"がつくられたというマニアックな記事を書いてみようと思います。

まずは私のことを知らない方に、今の私は周りから見てどんな人なのか?そして、自分がみた自分も含めてお伝えしておきますね!

明るくて、元気で、ポジティブ、人が好き、行動的、細かいこと気にしない、適当、寝るのが大好き、情にあつい、強め器質、男気、男前、姉御肌、いつも楽しそう、信頼感、安定感、何事にも動じない、寛容、自由、魔除け効果あり 変わり者etc…

よく言えばこんな感じの今のワタクシです。
良いのか悪いのかはさておき、今の自分は自分の格好悪いところや弱いところも受け入れた上で、自分が好き💕と思えています!

これを踏まえた上で、赤ちゃん、幼少期時代からお話ししていきましょうね☺️

私は、とある一般的な家に長女として生まれました。
それはそれは天使みたいに可愛い子だったらしいです(自分で言うのもなんですがw)
*そして時代を感じる色褪せた写真w

そこからあれよあれよと1歳、2歳。天然パーマが強くなり、顔は眉毛が常に下がってハッチ(泣き出しそうな困り顔)

母からは"鬼瓦権蔵"と呼ばれる幼少期。

今の私からは想像もつかない、スーパー気弱で泣き虫だったのです!

母の後ろから周りを警戒して、人との関わりに怯えていた暗黒時代。
誰かから声をかけられる、名前を呼ばれるだけで泣き出してしまうほどの、異様な怯えっぷり。じっと静かに一人で遊ぶのが得意で、虫や草花や動物との会話、死んだ蜂まで手にしていたという、小さく細かいものに興味がある幼児でした。

しかし、泣き虫ではあった反面、オムツが取れるのも早くて、歩くのもはやくて(一歳になる前に全て卒業式!)本当に手のかからない良い子だったと母の記憶。

いつも眉毛が下がって悲しげな顔をしている写真が多く、常に手に力が入っていて、緊張しているようにも見えますね〜(写真おもちゃのラケット反対側の手に注目!)

泣き虫は小学校低学年まで続きました。
今の私からは本当に想像が全くできない、そんな幼少期です。

なぜ、あんなに弱かった自分が
一体どこでどう変化したのか!?
気になってずっと考えていたのですが、、、

ようやく、その謎が溶けたのです!
"胎内記憶教育"を学ぶまでは、全然違う理由と結びつけていましたが、

それは、母親🤱との関係にありました。
私の母はとても心配性で、私の前にやってきたお姉ちゃんを流産で失いました。心配性が故にさらに慎重で心配になるのもわかります。
母は正義感の強いとても真面目な性格のしっかりした人で、私からみて頼もしくいつも強く守ってくれる存在でした。

母親のエネルギーの中で育つ幼少期(乳歯が生え変わるまで)は、お母さんの影響がとても大きいのだと、先日受講した胎内記憶の講座で学び知ることができました。

赤ちゃんや子どもには、否定する言葉はなく(否定の言葉は概念にない)、良いも悪いもないとのこと。

だから、「心配だなぁ〜」とお母さんが感じると、子どもは無邪気にお母さんの思う通りの望む子になりたいと思い「心配な子」になってしまうということなのです。

私は見事に、お母さんの望む「泣き虫で心配な子」になっていたのだと気づいたのです!
これは、大発見‼️

お母さんがいないと、何もできない子
お母さんの存在がとっても必要な子
お母さんが全てだった、そんな泣き虫ちゃんなのでした☺️

しかし、これが一転どこでどう変わって、強くなったのか!?と言うお話しは、小学校時代へと移って行きます。

次回へ続く…

今日も読んでくれてありがとうございました😊

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