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港湾都市かごしまの風景を我がコトで考える

(文:坂口 修一郎/ SELF 監事)
鹿児島は港湾都市です。そう説明すると鹿児島の人も地域外の人も少し意外な顔をします。外から仕事などでよく天文館あたりに来る人も、街なかからそんなに海って近いんですか?と言ったりする。山形屋のあたりから歩いてもすぐ海まで着くんですよと教えると、へぇーと言われることもしばしば。

ちょっと高台に登ればどこからでも見える桜島はあきらかに錦江湾に浮かんでいる。そこにはフェリーや大型の船舶、高速船や漁船など大小様々な船が行き来している。にもかかわらず、中の人にも外の人にも鹿児島市は海の街というイメージがない。

城山から眺める錦江湾と桜島

かごしまは港湾都市なのだ

港湾都市というとだいたいは、横浜、神戸あたりが思い浮かび、西日本だと門司あたりが思い浮かぶかもしれませんが、そこに鹿児島が入ることはまず無いと思います。これはちょっと不思議なことです。鹿児島県はその大部分が太平洋、東シナ海、錦江湾(鹿児島湾)という3つの海に海に囲まれた特殊な立地にあって、ほぼ海だらけの地域なのにです。

特に錦江湾は、鹿児島市の南北約20キロメートル範囲の7つの港区から構成されていて、2018年(平成30年)の「港湾統計年報」によれば自動車航送車両台数は約205万台であり日本国内首位(!)、船舶乗降人員は約626万人で、広島県の厳島港に次いで日本国内2位を誇ります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E6%B8%AF

市営の桜島フェリーに乗るって最高!

錦江湾は薩摩半島と桜島や大隅半島への交通路であるほか、奄美大島・沖縄などの南西諸島への重要な交通・物流拠点です。薩摩半島と大隅半島との間を結ぶフェリー航路は生活航路としての使命を果たして年間約731万人の旅客輸送を行っています。中でも公共交通で24時間営業しているのは全国でも桜島フェリーだけ。
※データはウィキペディアより

錦江湾はこれだけの物量を受け入れる日本でも有数の堂々たる湾であり、この錦江湾を取り巻く、鹿児島市を中心にしたベイエリアから眺める桜島は見る角度や距離、天候や時間によって常に姿かたちを変え、その美しさは世界中どこにもない独特の景観を作っています。

景観整備ができていないのは何故か?

しかし、これだけ巨大な物流拠点でもあり、鹿児島のイメージを一手に引き受けている錦江湾を、それを取り巻く街が大事にしているように思えないのは何故なのでしょうか。

特に鹿児島市の7港区は、とてもじゃないけど景観として整備されているとは言えるレベルではありません。天文館から一番近い北埠頭エリアが一部ウォーターフロントパークとして公園整備されていますが、そのすぐ脇のエリアはペンペン草が生えた空き地の駐車場。その隣は漁船とコンテナだけが並ぶ殺伐とした風景が広がっています。海辺の道路は特に歩けるよう整備されてもおらず、観光客どころか市民もほとんど使うことはありません。

もともと鹿児島市の天文館から歩いても10分ほどでたどり着く港湾エリアは倉庫街でした。これは日本でも海外でも同じことです。かつての大型物流は船を使うことも多かったのでそれも当然です。

オスロ(ノルウェー)の海辺の様子

世界の大都市は物流に便利なためほとんどが海辺に位置していますが、経済成長が進むにつれて土地の希少価値が上がってくるとより一層都市化が進められ、街なかは高層建築が密集してきます。空はどんどん狭くなり山は切り崩して海を埋め立て住宅地に。ただ、人がどんなに一生懸命山を崩し海を埋め立てたとしても、地球上の海の面積は地球全体(約5億1,000万平方km)の約71%をも占めています。

海辺は希少価値のある地域資源だ!

そんなにたくさんあるはずの海辺ですが、都市の海辺というと途端に希少価値がでてきます。そもそも人がたくさん暮らしている都市の水辺は洪水や津波などのリスクがあるため、都市部では埋め立てたり防潮壁を建てたりしてコントロールしようとしてきました。東京などは地形的に見ると海に近づくにつれて土地の海抜が高くなるように埋め立てて来たと言います。それも自然のリスクをコントロールしようとしてきた流れからです。東日本の被災地でも防潮堤がそびえたったりして同じ問題が起きています。こうして人間は自然からどんどん切り離されていきました。

鹿児島市も例外ではなく、半島でもともと平地が少なかったため江戸時代から埋め立てを始め、今の鹿児島市の港湾地域はほぼ全てが埋立地です。世界中の港湾都市というのはどこも自然の海岸線などは残っていません。

その息苦しさを開放できる場所は都市においては海しかない。都市にいるといたるところで感じる壁がなく、この海の向こうに別の世界があるという感覚がその開放感を生むのかもしれません。

オスロ(ノルウェー)の港と公園が一体化した風景

しかし、コロナでそれが一時停止していますが、依然として大観光時代である現代。水辺の観光資源をうまく使うのは観光都市では必須の風景づくりになっています。

横浜などが赤レンガ倉庫を中心として海辺を歩いて巡る都市作りをしているように、海外に目を向ければサンフランシスコやシドニーなどもうまく倉庫街をコンバージョンして観光資源として活用。その他にも水〜海辺をうまく活用している事例は世界中にいとまがありません。自然が残っていないということが海辺を大事にしない理由にはならない。

かごしまが海辺をほったらかしにする理由

それでも国際観光都市を標榜する鹿児島が、これだけ海辺をほったらかしにするのには僕はそこにもう一つ無意識レベルの理由があるように思います。

それは海から見た街の風景という視点です。

湾内を行きかうフェリーも素敵な風景

サンフランシスコもシドニーも、横浜も神戸も、瀬戸内海に面してアーキペラゴ(群島・多島海の意味)に誇りを持っている高松市なども都市名で画像検索するとどこも海から見た街の風景がでてきます。

鹿児島はというと、街なか(城山あたり)から見た桜島の風景ばかり。あくまで主役は桜島で錦江湾は添え物というか額縁のようにしか見えません。

桜島をフィーチャーしたい気持ちはわかりますが、これだけの豊かな海を持つ中核都市のイメージとして海側から桜島と街を捉えた画がもうちょっとあっても良いのではと思うくらい。桜島にお尻を向けるのを遠慮しているのか、海からみた街の風景はまずでてこない。

そこに海を大事にしない無意識レベルの理由を感じるのは僕だけでしょうか。

鹿児島の街の人にとって桜島と錦江湾はあくまでも「陸地から見る」もの。「海から見る」桜島や街の風景は、島や外からやってくる人たちの視点であり、自分たちのものではない。そんな意識がどこかにあるんじゃないかと思ってしまいます。

巨大な体育館と駐車場ができることを現地でイメージしてみよう!

いまドルフィンポート跡地に中途半端に巨大な体育館を作るという構想が進められようとしています。その横には巨大な駐車場も併設とのことです。
当然街なかの人たちからは「陸から見た」桜島を邪魔しないかどうかという議論が巻き起こっています。確かにそれは大事です。でも、海外からやってくる人たちにとって魅力なのは、世界遺産である屋久島や奄美へと続く海のある鹿児島です。

鹿児島が誇る群島に船で向かう時に感動するのは、海から見たベイエリアの風景です。世界で最も活発に活動する火山の足元のすぐ近くにこれだけの人が暮らしている場所。錦江湾には桜島以外にも無人島もあるし、薩摩〜大隅の両半島は半島というだけあって半分は島です。この特殊な地形が作る穏やかな風景はは世界中見渡してもここにしかありません。

指宿白水館のプールサイドから望む錦江湾

自然と共生しながら何千年も私たちはこの地と海と共に暮らしてきました。鹿児島というエリアの魅力は海を抜きにしては考えられません。世界中の人が活火山を抱くベイエリア鹿児島の風景を楽しみにやってきます。その時に海に背を向けた施設が、都市と海をつなぐ唯一の場所である玄関口に鎮座していたらどうなるでしょうか。

竹芝桟橋(東京都)は夜景も人気

体育館が必要ないというのではありません。この地に暮らす人々が利用するスポーツ施設は基本的にお金を生むものではないだけに街が整備するべきものですし必要だと思います。しかし、それはここ(ドルフィンポート跡)ではない。

世界に誇れる地元のひとの愛する海辺のエリアを

鹿児島市の海の玄関口であるこの場所は、街から海〜桜島を見る時にも、海から桜島と街を一望する時にも誇れるような景観を作るべきです。

鹿児島水族館が真似(参考に)したシドニーのオペラハウスは、ベネロング・ポイントという岬の先端に作られ、やはり海に向かって開かれています。間違いなく海と一体で、海側から見た時に最も美しく映えるようにできています。そこには海と共生する街の人たちの誇りが感じられる。

ドルフィンポート跡地から天文館、また仙巌園へとつなぐエリアは世界有数の観光資源になりうる場所です。今は名ばかりの国際観光都市である鹿児島市は、最大の観光資源である海辺の風景に街からみても、海からみてもどちらにも背を向ける壁を立てようとしている。そこにこの街とベイエリアを活用していくグラウンドビジョンは感じられません。

尾道(広島県)の水上飛行艇による遊覧飛行

もう一度言いますが、体育館を否定しているわけではない。けれど本当にこの場所で良いのかどうか、広く議論がなされないままに経済合理性だけを理由にこの建物が一度建ってしまえば今後100年近くも残り続ける遺産を次の世代に残すことになります。風景を殺すと書いて殺風景といいますが、この風景は僕らの世代だけのものではありません。次の世代が享受するはずの風景を殺す権利は僕らにはない。

わが街のことは我がコトで考える

このコラムの一番初めにも掲載したイラストは、私も加わっているあるプロジェクトで構想した今回のエリアの再開発イメージです。これがベストだとは思っていませんが、ウォーターフロントに人が行きかう港湾都市にあって欲しいイメージになっています。

人が行きかうウォーターフロントのイメージ

風景はお金では買えません。しかし、一度巨額のお金を掛けてしまえばそこで壊された風景を取り戻すことはできません。海は海であるだけで資源なのです。鹿児島という都市に残された最大の自然であり資源である海との付き合い方を含めて、本当にそれでいいのかこれはもう一度立ち止まってみんなが考えるべき問題です。

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