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レイモンド柳沢

夜中にスマホでパズルゲームに興じていたら、突然、レイモンド柳沢なる人物が私の頭の中に浮かんできた。

レイモンド柳沢は本物の絹で出来た黒いシルクハットをかぶっており、見た目からして初老の男性である。「レイモンド」がファーストネームなのかそれともニックネームなのか定かではない。しかし彼の名はレイモンド柳沢であり、レイモンド柳沢にふさわしい風貌をしているのだ。

話はそれるが、私は自分の氏名が好きではなかった。なんとなく統一感のない響きも好きではなかったし、何よりその名前に想起される自分自身が嫌いだった。

だから、小学校の時も中学校のときも、自分の名前を名簿や席替え表や係の掲示で見るたびに、憂鬱になった。仮に私が可愛くて誰からも好かれる女の子であったなら、私の名前もまた甘やかな響きになったと思う。クラスの何人かはわたしの名前の文字面を見てわくわくした気分になっただろうし、わたし自身も名前を見るたびに自分の存在意義を前向きに捉えることが出来たかも知れない。

けれど、私の名前から想起される私はおおよそ嫌な人間で、もしその時代にSNSが発達していたならば私は名前は揶揄される対象としてそこに挙げられていただろう。

そういう思いがあって、私は自分の名前を見るのがイヤだった。要するに、私の名前は嫌われっ子のそれなのである。明確にいじめられていたわけではないにも関わらず。

それに比べて、レイモンド柳沢は、レイモンド柳沢以外何者でもない。レイモンド、だけではやけに鼻の高い欧米人みたいだし、柳沢、だけだとパトカーと無線の音が頭から離れずうるさい。けれどレイモンド柳沢、とつぶやくと、そこにいるのはただただ静かな佇まいの男性なのである。

レイモンド柳沢は私を静かに眺めている。気がつけば杖に両手を重ねている。足が悪いのか分からないが、レイモンド柳沢は杖を持っているのだ。そしてレイモンド柳沢は夏の人間ではない。年齢と同じ、晩秋から初冬の雰囲気を漂わせて、決して強い日差しの中には出てこない。数分前に出会ったレイモンド柳沢が夏の日差しの中でどのように過ごしているか想像してみたが、全く思い浮かばなかった。

私はレイモンド柳沢を羨ましく思う。派手な名前にも関わらず、確固たる佇まいを持つレイモンド柳沢。彼は自分の名前を嫌いになったことはないだろう。だってこんなにもレイモンド柳沢然としているのだから。

いや、待てよと思い直す。レイモンド柳沢だって若い時代があったはずだ。今でこそ何の違和感も感じさせない彼も、若かりし頃は自分の名前に悩んだかも知れない。なんせレイモンド柳沢である。外国の血が顔にはっきりと現れているわけでもない彼にとって、その名前は重すぎたかも知れない。そもそも「柳沢」だけでも、少し目立つ名前である。その上、というかその前に「レイモンド」。体操服にレイモンド柳沢、縦笛にレイモンド柳沢、受験票にレイモンド柳沢…。けれど彼は長い時間をかけて彼の思うレイモンド柳沢像を作り上げ、自らをそこに寄せてきた。そしてそれは誰もが思う最大公約数のレイモンド柳沢像なのである。それはもしかしたら苦しい戦いだったのかも知れない。

ありがとうレイモンド柳沢。こうして私はゲームをやめて、貴方について文字を連ねている。貴方を表現するのに、こんな駄文で申し訳ない気持ちにもなっている。それでも書かずにはいられなかった。

一眠りすれば貴方は私の頭の中から消えてしまうのだろう。それでも2020年5月20日の午前3時、貴方は確かに存在した。

ありがとう、そしてさようなら、レイモンド柳沢。また会う日まで。

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