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自己決定権と慣習の間で。

40代も後半になって初めて入院・手術を経験した。
自慢じゃないが子どもの頃から健康で、途上国を転々とした20年間にも一度も大きな病気をしていないので、この年になって初めての点滴、初めての入院、初めての全身麻酔、初めての手術と、初めてだらけの経験だ。日本のUHC (Universal Health Coverage、国民皆保険や医療への公平なアクセス)の恩恵をこんなに受けたことなどもちろん無い。帰国以来、毎月高い社会保険料にぶーぶー文句言ってて申し訳ありませんでした。

近所のかかりつけ医から紹介され、地域の中核病院に世話になったが、あれやこれやと同意書にサインを求められることに驚いた。これから行われる治療や検査や手術と、それらの副作用の可能性についての説明を受けて、リスクを受容可能と判断して同意書に名前を書く。日本に帰って1年半、ようやく三文判を持ち歩く癖もついたし、これまでに公衆衛生の現場で学んだ知識も役に立って納得いく同意だから、サクサクと自署サインをする。

しかし、この日本では、いい歳をした「はたらくおばさん」の私が、自己責任において私の治療選択やリスク受容を決定しても、それだけでは足りないのだと言う。普段から当たり前のように行われている「慣習」だから、治療には家族の同意が必要で、入院に際しては医療費の連帯保証人が必要なのだと。同居していないなら、電話で遠い実家にいる老親に説明をするとまで言う。

いや、私が家族の中で一番可処分所得は多いし、保健医療に関する知識も一番高いし、同意をしたり連帯保証人にする家族は年金生活の後期高齢者ですよ、と言っても、「どなたかがこの欄に連帯保証人として署名捺印してもらわないと入院を許可できなくて困ります」の一点張り。家族が電話口で病状見立てとリスク説明をする主治医に「はい、そのようにお願いします」と言わないと手術もしてもらえない。

一人暮らしの多い都会だったら、最近の病院はもう少しフレキシブルなのかもしれないが、私が世話になった病院の独自ルールなのか市井ルールなのか、どこかに「家族」がいる以上は家族からの同意や連帯保証が必要というプロセスを免れないらしい。私は両親とは仲も良いし、彼らもまだボケていない。が、誤解を恐れないで言うと、大学進学で家を離れた30年前から、基本的に私は私の人生の選択を、親に頼ることなく(相談はするが)自分一人で決めてきたのに、また家族に決定権を委ねろと言われたら腹も立つ。海外に行くことも、事実婚やその解消も、複数回の転職も、日本に帰ることも、基本的には事後報告だ。なのに今さら、この年になって、何も決められない娘に戻って親に同意してもらえだと?? 

私には私の自己決定権があるし、書類の形だけ整えるために、たとえ家族であれど自分以外の人間に決定を委ねることなどまっぴらごめんだ。なぜ患者本人の他に同意が必要なのだろう。私の身体のことなのに・・・とリプロライツを語る若きフェミニストみたいなことを呟きたくなる。

そしてその「家族」の定義には内縁のパートナーではダメだとか、もちろん聞かなかったけれど同性パートナーとか全く想定していないのだろうし、もういつの時代なんだ、という感じである。法的な結婚をしていれば日本語が全く理解できない配偶者でも、一緒に座って説明を受けて頷きさえすればサインができると言う、形だけの慣習なのに。DV夫がサイン拒否したら治療や入院だってできなくなる可能性すらある慣習なのに。

このような色々なもやもやを感じながら、そうは言いつつ病院側にすれば万が一の医療事故に備えてリスクヘッジしたい理由もわからなくもないし、ああもう面倒で理不尽な世の中だ、とわめいてしまいたい体験となった。これからさらに歳をとっていく中で、医療の世話になることも増えていくだろう。老親がいなくなる頃には、甥姪の世代にサインを頼まなければならなくなる日が来るのだろうか。それまでに自己決定権を最大に担保する(現状での)可能な道を探しておかなくては。

ま、そんなことを本格的に歳をとる前に知れたことをラッキーだったと思うことにして、ひとまずは退院して娑婆に戻った安堵感を味わおうか。