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昨今のゲームに起きているアレコレ

ゲーム業界の流れを振り返ってみる

新しい楽しみ方、遊び方を生み出すというのは、ゲームの世界において、だいぶ前から限界にきている。私の考えでは、タワーディフェンスゲームがジャンルとして確立して以降、新ジャンルは出てきていないと思っている。そんな中にあって、コンシューマーゲームが数年ごとに入れ替わるたびに、ハードの限界を示すようなゲームがリリースされ、そのたびに「まるで実写のよう」ともてはやされる。それでまた何年かゲームが活況になる。それがゲーム業界のお約束だった。

黒船スマートフォンの登場

しかし、この流れを大きく変えてしまったのが、スマートフォンの登場。手軽に遊べて、ユーザー数も圧倒的に多いプラットフォームの登場に、多くのゲーム会社が色めき立ち、多くの野心的なゲームが登場しては消えていった。そして、マネタイズというキーワードが業界を席捲するようになったころ登場したのが、ガチャを収益の柱としたソーシャルゲーム。ヒットしたソシャゲの収益は爆発的なものになり、それはある種の劇薬のようだった。ヒットを飛ばしたメーカーは次々と開発予算を増額し、さらにリッチなコンテンツを投入する。数億かけて作った作品もダメなら1ヶ月で見切るという残酷な所業が繰り返された。短期間で打ち切られた作品に関わった開発者たちは何を思うのだろうか。

ガチャが示したゲームシステムの限界

ガチャを収益の柱に据えるということは、ゲームシステム上多くの制約を生み出す。

  • 多くのキャラクターを必要とする

  • ガチャで得られるキャラやアイテムがゲームの勝敗を左右する

  • ガチャを多く回すほど有利になる

  • レアリティが高いキャラほど有利

大きくこんなところだろうか、かつて「パンヤ」というオンラインゴルフゲームが流行った事があった。このゲームにもガチャが導入されていたが、当時としては取り入れるのが早く、また、衣装の販売に使われていたので、ゲーム本来の面白さに介入することはなかった。しかし、現在は違うのはみなさんご承知の通り。そしてこのシステムがもたらす最大の問題点は新しい面白さが生み出せない点にある。だからゲームメーカーは新作を出す度にゲームシステムではなく、アニメーションや声優の迫力で広告を埋めるしかなかった。これは本当に新作なのだろうかと目を疑う。酷いメーカーになれば、ゲームシステムは全く同じでグラフィックだけを変えてリリースすることも平気で行われてきた。もうモノづくりのプライドもクソもない。ただ儲かればそれでいいらしい。

詐欺広告の横行

近年はさらに、酷い事に広告で流れるゲームシステムと実際に遊んでみた時の内容が全然違うまたは、ほとんど違うという広告だ。これも、ゲームシステムとして目新しいものが生み出せなくなってしまったが故の苦肉の策なのだろう。呆れて物も言えない。

最先端の遊びではなくなったゲームの現在地

小説、漫画、ラジオ、映画、テレビ、ゲーム、ネット。これらは、前の文化を凌駕することで発展し、また次の文化に凌駕されることで衰退していった。ゲームも、最早、最先端の遊びではない位置に来た。そして、ゲーム自体も新しいものを生み出せないところに来ている。その理由はいくつかある。

  • 息抜きの娯楽に複雑なルールが求められない

  • プレイヤーが把握できるボタンの数の限界

  • 人間が一度に画面から受け取れる情報量の限界

  • プレイボリュームの限界

こうして振り返ってみると、ドラクエやFF、その他のナンバリングタイトルは、新ハードの出現によって、既存のゲームシステムが遊び直されることで、生き延びてきた側面がある。そのルーティーンがスマートフォンの出現によって破壊されてしまったのだ。もちろん全部とは言わないが。

今後の日本のゲーム業界

ソシャゲが右肩下がりになり、コンシューマーにも客が戻らず、メインストリームと呼べるプラットフォームは最早日本では見つけられないところに来ている。加えてYouTubeなどの新しいエンタメに押され、最先端の地位も奪われた。今後は、数多ある娯楽の一つとして定着するが、メジャーのエンタメという地位から少しづつ後退していくだろう。そのとき何が残るのか。それは本質的に面白いゲーム。ゲームシステムに収益を介入させない、純粋なゲームが長く支持を集めるだろう。そのことに業界全体が気づくのはいつになるのか? そのとき業界規模はどうなっているのか? 暗い未来しか見えない。

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