「イサミかわいそう」は何故想定外だったのか—三尉マイフレンド—

※勇気爆発バーンブレイバーンの最終話までのネタバレ記事です!

細かい部分はぼかしてありますが閲覧注意です!




勇気爆発バーンブレイバーンの最終話を見て、ただただこのアニメにおける「イサミかわいそう」とはなんだったのか—と茫然とした者の心の整理の備忘録です。(とは言いつつ、誰かに共感されたい!という切実な欲求によって成り立つ記事なので、もしどこかで誰かが共感してくださったら、とてもとても救われます。

こんな書き出しでなんですが、正直11話の時から「これ真面目な部分回収して終われるんだろうか」と不安になってきまして、そもそもその不安自体がお門違いだったんだなとある種の納得を得たうえで書いています。

➀世界への反抗者としてのイサミ—クレしんにおける大人ポジ

 私はこのアニメについて、今の今まで「リアル自衛隊に勇者ロボが来てカルチャーショックでてんやわんやする話」なんだと思い込んできました。
しかし、実際には勇者ロボ世界観の方が主で、それにいちいちツッコミをいれる異物こそが、リアル自衛隊員の方だったのではないでしょうか?
それならば、なんだかいろいろなことがしっくりくるのです。

やたらめったら脱がされるのも
尋問が中々に酷い描写の割になんだかアッサリ拷問官と和解したのも。
むやみやたらにセクシーなシーンが多いのも
ブレイバーンにかなり可哀想な扱いをされても特に同情されないのも。
滅茶苦茶にメンタルに重篤なダメージが与えられるのも
ルルちゃんの公然の場での理不尽な暴力がスルーされるのも
無茶苦茶な流れで酷い目に遭うのもなんか最後に(リアル自衛官としては真っ当な筈の)白旗降伏があんなにも情けない感じで描かれるのも

彼が楽しいロボアニメ界に迷い込んだ異物であり、それにも関わらずそのルールに従おうとしないので、相応のペナルティを受けているのだと考えれば、納得できるような気がします。
いやいやそんなことを言ったら自衛隊及び米軍の全員が異物でしょう、と言うべきところですが、彼らは単純にルールを破り得るほどの活躍をさせてもらえないのです。酷い言い方をすれば、ぶっちゃけ異物になるほどの存在感が無いので、ペナルティを受けることになります。
そして、たまに異物になるほど存在感がはっきりした時は、軒並みコテンパンにされています。うっかりしっかり情報聴取しようとなんかすれば、chapter責めにあってしまい、何もわからないままストレスを抱える羽目になります。尋問を頑張ろうとすれば、絶対効かない尋問をとりあえずやってみる謎の失態を犯し、ギャグキャラ堕ちの憂き目に遭います。

この構図、どっかで見たな…と思ってきたのですが、クレヨンしんちゃんにおける生真面目な大人の皆さんです。野原の坊ちゃんに様々な形で迷惑をかけられ、時には鉄拳制裁も辞さない立場ですが、概観すればやられっぱなしです。何より、彼らの受ける被害は面白おかしく戯画化され、笑いどころになります。大袈裟に泣いて怒って喚くほどに滑稽で、鉄板ネタとして理不尽な被害に遭い続け、何故か謎に主人公に気に入られ執拗なイジリに名物キャラになるわけです。
三尉はその点、完璧です。
すごく生真面目で、とてもいい反応をしてくれて、おまけにエリートです。
汚れ役を担わされるキャラは、元が綺麗であるほど、汚れが映えるもの。
一話の三尉、かっこいいですよね。
美人な同僚と二人で飲んでるけど、ちっともデレデレしていない。
おお感じに気の置けない対等な仲であるうえで、独断専行を肯定的に受け止められていて、敬意を払われたうえで親しまれているのが伝わってきます。
独断専行をきちんと咎める上司がいるというのも、かえって彼のかっこよさを演出してくれます。自分のやりたいようにやる意志の強さを魅せつつも、処分に文句を言ったりはせず、負かした相手のこともちゃんと評価しているる。きっとサタケ隊長を尊敬したうえで時には反抗し、甘えもありつつも期待にこたえ続ける、いい関係なのでしょうね。スミス少尉ともこの先いい関係になれそうな、格の高いライバルキャラみたいな貫録です。

そんな彼がいやあ汚される汚される。

本当になんの恨みがあるんだ、調子に乗った後の賭博師カイジだってこんな目には逢わないぞ…と恐れおののくばかりです。彼はいっそ潔癖にガードされているともいえるほど、良い若者であり、素晴らしい公務員です。彼がキレる時はそりゃキレるよ、という理由があります。そんな彼が汚され、乱され、壊れていくからこそ面白い、という美学の元にあの扱いのような気がします。次節で語る、ブレイバーンがやたら三尉をほめるわりに扱いがあれなのも、それを象徴しているのかもしれません。


➁ホウセイマイフレンドなブレイバーン

 言うまでもなく「イサミかわいそう」の原因はブレイバーンです。
彼の厄介なところは、端的に言えば「優しいけど謝らないし助けない」ことです。「私はキミの味方だ!」と高らかに宣言するわりに、三尉の話はちっともきいてくれないし、三尉が尋問されたり殴られたり這って逃げようとしていても、いつも通り気さくに話しかけてきます。挙句、あれだけなりふり構わず嫌だ!と言ってるのに、11話にして「乗りたくなかった」と改めて言われて「なんとなくそんな気がしていた」というわけです。ここにくるまで、コミュニケーションが成り立っていなかったことがありありと明かされます。
 私は個人的な解釈として「ブレイバーンだって嫌がるイサミを乗せるのは可哀想だとは思うけど人類の為に時間の猶予がないし、歴史改変の都合で詳しい説明も出来なかったんだろう…」などと思っていたので、かなり衝撃でした。本当にわかっていなかったというか、三尉の反応どうでもよかったんだ…と、勝手ながらかなりショックを受けてしまいました。
 
そして思ったのです。

もしかしたらブレイバーンはホウセイマイフレンドな宇宙人では⁈

と。今となっては古のネタなので、ピクシブ百科のリンクをお借りさせて頂きます。
ホウセイマイフレンド とは【ピクシブ百科事典】 #ピクシブ百科事典 #pixiv https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%9B%E3%82%A6%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89

 ざっくり言えば、ホウセイマイフレンドとは「笑ってはいけない地球防衛軍」における、山崎方正氏が理不尽な罰を受けるというネタです。地球防衛軍に宇宙人との内通者がいるという設定で、何故か宇宙人にマイフレンド認定されてしまった隊員が、関係を否認してもひたすら責められるという構図を繰り返します。
 こんな記事においてもここだけはけっこう共感して頂けるのではないかと思うのですが、これって二話におけるブレイバーン-三尉の関係に似てませんか⁈
突然やってきた宇宙人に何故か一方的にマブダチ認定されて、内通者であると嫌疑をかけられてしまい、味方のはずの人類から酷い目に遭わされる—ここだけみれば、かなり近いのではないでしょうか。
しかし私が一番注目して頂きたいのは、宇宙人がマイフレンドであるはずのホウセイに対して、まったく手を差し伸べないということです。これは保身に走っているとか、逆に本当は嫌いだから陥れたいとか、そういうことではありません。最後まで何故宇宙人がホウセイマイフレンドと主張し続けたのかはわからず、むしろその不条理さと理不尽さこそが記憶に残る、笑いどころであるともいえます。
私の中では、ブレイバーンの態度は、ずっとホウセイマイフレンドです。
重要な点は、これはブレイバーン(あるいは元少尉)のキャラクター性がそうだ、という話ではなく、世界観がひたすらそうなのだろうということです。
イサミに背負うなとは言うが、緊急時とはいえ「拷問に遭っていた被害者を殴って乗せた」元少尉は、そのことに罪悪感を抱いたりはしません。ことの善悪は置くとして、彼の優しい性格を思えば、これはとても不自然です。
しかし仕方ないのです。
選ばれたパイロットは頑張ってロボに乗るもので、それを嫌がるという時点でなにがしかの欠陥(及びそこから生じるドラマがうまれうる属性)なのです。ただでさえ1クールしかない中で、そんなドラマをやっている暇はなく、理屈がどうあれ乗りたくないなんていうイサミが悪いのだ、というのが世界のルールなのです。
メタ的に言えば、ロボアニメというものは新兵どころか民間人、それも年端もいかない子供がパイロットになることもザラな世界観ばかりです。制作陣がナチュラルに「軍人が泣いて乗りたくないとかギャグだろ(流石に整合性として拷問設定はつけておく)」という認識でも、おかしくないのかもしれません。このナチュラルな認識については、③では前提として書かせて頂きます。


③イサミ可哀想が想定外な理由—ネタキャラは哀れみを受けない

 なんだか長々と書いてしまいましたが、表題の「イサミかわいそう」が何故想定外なのか、ということについて考えてみたいと思います。
「イサミかわいそう」がトレンドに上がった時に必ずと言っていい程取りざたされるのは、制作陣からの「可哀想といわれるのは想定外だった」という、一部を震撼させたコメントです。まあこれについてはネタ的な意味でのポーズというか、流石にそう思わないであんな描写はできないだろうとみなされ、私もそれに同調する立場ではありました。「え?どこが可哀想なの⁈」と被害者にさえして貰えない、という理不尽さが彼の不憫さをいっそう引き立てるのだろうな、などと考えておりました。
 しかし、最終話を見るにつけ、あれは(ある程度の割合では)本気だったのではないかと思えてきました。制作陣は、本当に彼がかわいそうであるという意識がなかったとのではにかと
勿論設定からすれば、考えるまでもなく三尉は被害者であり、可哀想な立場です。その認識がなかったというのは、流石にないのではないかと思われます。認識のズレは、彼の可哀想さが完全に面白おかしいギャグとして描かれ、後に引きずるような話ではなかった—敢えて露骨な言い方をすれば、ガチで悲惨なものと捉えるような二次創作がでるようなシーンとは、認識されていなかったということではないでしょうか?つまり、制作陣にとっては➀で描いたような、イジラレ役としての哀れさを描くつもりだったのではないかと。
 クレしんでいくら大人が酷い目に遭っていても、それを本当に可哀想なシーンとして捉える人はいないですよね?みさえ母さんが節約して買った高いシャンプーを排水溝に流されても、まつざか先生が出自のコンプレックスをばらされても、それを悲劇のシーンと思う人は基本的にいません。もしかしたらたまたま一部の視聴者のトラウマにふれてしまい、思わぬダメージを与えられることはあるかもしれませんが、それはあくまで例外的な反応であると言えそうです。
 それはクレヨンしんちゃんという物語があくまで子供目線であり、大人の悲喜こもごもはなんかリアクションデカくて面白いな、位にしかとらえられないという世界観の結果です。子供のいたずらに真面目にダメージを喰らう大人は、物語においてはイジラレキャラでしかないのです。それと同じようにロボアニメにおいては、巨大ロボに乗りたくなくて必殺技を叫ぶのにもメンタルを削られるパイロットなんて、ネタキャラでしかないということではないでしょうか?
 最終回のなんとも気の毒な三尉の壊れっぷりも、痛々しいものではなく。あくまでギャグでしかなかったのでしょう。あそこから勇気爆発にもっていくのは、ギャグから本筋(シリアス)へのシームレスな流れであり、三尉の精神的成長とかそういう話ではない、と解釈すべきという風に思われます。
 彼は成長や心の機微を克明に描かれる存在ではなく、その時に必要な行動を(渋っている時もノリノリの時もあるものの結局は)とらされる役であり、その役のけっこうな割合がネタキャラだったといえるのではないでしょうか。いくらなんでも最終回でまでそれは…とついつい思ってしまいますが、ある意味では初志貫徹した扱いだったといえるかもしれません。ネタキャラや舞台上必要な役割に徹するのもよく言えば職人的役回りで、だからこそ相棒である中尉(元少尉)と比べても背景情報や、どう思っていたのかと言うモノローグがないのも徹底ぶりがうかがえると解釈した方がいいように思いたいものです。

総括—ミステリアスが空虚に変わる瞬間を体現したイサミ・アオ

 なんか真夜中に長々と理屈をこねまわしてしまいましたが、結局この記事を書いた理由は、悲しみに共感してほしいからです。私は三尉に対して自分が思うより恋をしていたあなたにあれから思うように息が出来ない、的な心持なので、最後までギミックであったのは、中々にショックだったりします。完全にイサミマイフレンドな気持ちだったので、こんなのってないよ!と駄々をこねまくりです。特にミステリアスだと思っていたところが、必要ないから省かれていた情報だったかもしれないとは…(まあ全て妄想というか勘ぐりなので取り越し苦労も甚だしいといえばそうですが)
いつかどこかで登場して、彼にも舞台装置以外の、なにか役割が与えられればいいな…などど夢見て寝ます。


とりあえず、一番共感してほしいところはブレイバーンホウセイマイフレンド説です。ニコニコの記事も面白かったので、貼らせて頂きます。よかったら見てみてください。
ホウセイマイフレンド - ニコ百 https://dic.nicovideo.jp/id/5187273 #nicopedia









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?