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街の発想ラボ、みんな何かを書いていた

ある日の午後、このカフェでは、すべてのお客さんが何らかの「発想作業」をしていました。読書をしながらノートに書き込む、頭に浮かんだことを鉛筆で書きとめる、パソコンでの文章づくりなどです。誰もが、スマホを机の上に置いていますが、ほとんど触ることもなく、ひたすら言葉を紡いでいます。

現代における書き言葉には2種類あるといわれています。ひとつは、SNSで短文をやりとりするとき。これは、口で語る言葉とほぼ同じ。一方、手書きやキーボードで、本格的に書くときには、文章はもう少し長く、センテンスとセンテンスの関係も考えながら、構成していきます。実は、思考において、とても大切な基本です。

スライドソフトでブレゼンをするとき、スライドに書き込む言葉は、SNSに近く、ゆるくて、軽いものです。いいプレゼンだったから、雑誌原稿に書き直してと頼むと、その文章が論理的につじつまのあわない薄っぺらなものだったりします。

プレゼンとは、話者の存在感、人柄、話し方、声の質、スライドの写真やイラストとあいまった「show」なのですね。プレゼンの発表者とは、芝居でいうなら俳優。いうまでもなく、すぐれた役者が、すぐれた脚本家や作家でないのです。(もちろん、どちらがすぐれているということではなく)

口から出てくる言葉と、手が書く言葉。これは別物なのでしょう。エントリーシート、新聞記事、紙による企画書、論文、エッセイ、小説、法律の文章、減ってしまったけれどラブレターなどは、プレゼンやおしゃべりのような口語でもなく、SNSのような軽い書き言葉でもなく、破綻のない粘りのある書き言葉である必要があります。

街の普通のカフェで、お客さんたちが重い書き言葉に取り組んでいる昼下がり、つい、みんなの背後をそれとなく歩いて、のぞきこんでしまったのでした。

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