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考えているつもりもなく考える

「無意識に考えさせる」ことを、もう少し追いかけてみます。直観の問題を考えている本を見ていたら、次のような指摘がありました。「熟達したスポーツマンが、大事なゴルフのパットを決めるとき、あるいはバスケットボールのフリースローをするとき、そのこと自体に気持ちを向けすぎると、自然に出てくるはずのリズムを壊してしまう」(Myers,D.G. Intuition : Its Powers and Perils. Yale University Press. 2002)

「そのこと自体に気持ちを向けすぎる」とリズムが壊れる。これは、スポーツの時でなくても、私たちが経験していること。もう少し、引用してみます。「『考えたら、終わり』とはバスケットボールの格言である。流れと共に行け。それはペースの遅いゴルフのようなスポーツでも同じであって、タイガー・ウッズは、『僕は、無意識を信じることを学んだ。本能は、裏切らない』といっている」(同書)。ここから、スポーツ選手はプレーの最中、自分の動作の一つひとつを細かく考えているわけではないことがわかります。私たちの場合も、日常生活における動きの多くは、ベテランのスポーツ選手のように自動的に行われていることに気づくでしょう。そのとき頭の中で何も考えていないわけではありません。意識しない代わりに、無意識が考えていてくれるのでしょう。だからこそ、私たちは日常的な動作を支障なく行うことができる。
 

コップをつかむ動作を考えてみてください。それらは頭の中であらかじめ計画され、一気に行動に移っているわけではありません。そのコップがどのような形状か、コップの中に何が入っているか、どのような場所に置かれているか、といった状況によって、手の伸ばし方や、つかみ方といったものを、その都度無意識が微修正しています。瞬間ごとに、その場で「手が考えている」のです。「意識されざる修正」のことを、認知科学の用語ではマイクロスリップと呼ぶとか。訓練を積んだスポーツ選手は、プレーの中でとても複雑なマイクロスリップを行っていて。観客の目には、彼らの動作は自然に映りますが、実際彼らの中では、微細な無意識の思考が連続しているということになるのです。

アメリカでベストセラーになったグラッドウェルの『ブリンク(まばたきという意味)』という本の中に、次のようなフレーズがありました。「無意識というものは、ちょっとした経験の断片から、物事の状況や行動のパターンを見抜くものである」(Gladwell,M. Blink.Little,Brown and Company 2005 翻訳書は沢田博・阿部尚美訳『第1感「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』光文社 2006年)私たちの無意識は「ちょっとした経験の断片」をきっかけに「何か」を教えてくれます。頭がスランプに陥った時には、ひとまず目下の課題から離れ、自らを半分無意識的な状態におくこと。言いかえれば、考えていながら考えていない…自分の中にそんな状態をつくるようにするのです。アイデアに詰まったら、いっそのこと椅子に座った状態で目を閉じ、そのままうとうとしてみるのもいい。座ったままの浅い眠りが、頭の中にちょうどよい無意識状態を作り出し、いいアイデアを連れて降りてくるかもしれません。エンジン設計者であったホンダの久米是志元社長の『ひらめきの設計図』(小学館・2006年)にも、行きづまった末に居眠りして、それから醒めたとき、ハッとアイデアが湧くシーンがありましたっけ。
 

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