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14 ひとりディベートで考える

自分の心のなかで2つの人格が議論をするのが「ひとりディベート」です。
これは、あるテーマについて、2人、ときには3人以上の「仮想人物」を、自分の心の中で議論させる方法。白熱するあまり、ときには相手を罵倒するところで、声が出てしまったり、相手の胸ぐらをつかもうとして自分の胸ぐらをつかんでしまったりすることがあるので、というのは冗談ですが、端から見ていると、心ここにないような妙な雰囲気になるので、周りに人がいないときを見計らって行ったほうが賢明かもしれません。

先日は、裁判における被害者の立場について、こんな「ひとりディベート」をしてみました。
 A「被害者の立場を考えると、裁判の場で、もっと自由に被害者が主張できることも必要だと思う」
 B「しかし、被害者が理性的かつ論理的に話をするのは難しいよ。その事件について、被告人に何かを発言せよといわれても、加害者が憎いとか感情的になる他ないでしょう」
 A「でも、いまの状況だと、基本的に被害者は裁判の傍観者でしかない。傍聴席に座って、はらはら、いらいらするだけだ。それって変じゃないか」
 B「いや。おかしくはない。刑事裁判は仇討ちの場ではないよ。検察官が公益の代表者として起訴した事件について、起訴状にある事実がほんとうかどうかを判断するのが法廷だから」
 A「そうはいっても、これからも、当事者である被害者は蚊帳の外でいいのかな」
 B「被告人の人権を守ることを第一義にしてきたことは正しい。確かに、被害者は、裁判を見守るだけだったというのも事実。ただし、裁判員制度のもとで、被害者の直接的なメッセージを増やすことは、裁判の行方を危うくする面があるし…」

 このように、意見を決めかねているようなテーマについて、自分のなかの2つのキャラクターの意見をぶつけてみると、自分の論理のおかしなところが見えてきます。もっと知識がないと判断を誤るなと冷静になることもできるでしょう。平行線をたどる議論は埋まらないのか、それともどこかで折り合いがつけられるものなのか、そんなことも見えてくるはずです。

「ひとりディベート」の効用を挙げると、まず思考が素早くなります。会議の場で、商談の場で、出席者や得意先の予期せぬ質問にも当意即妙な受け答えができるようになること。おそらく、自問自答の最中に、いつのまにか「攻め」の自分と「守りの」自分とが棲み分けされ、「攻め」の自分が繰り出す厳しい質問に「守りの」自分が応酬することで、実践でも有効な「バーチャル訓練」が行われているのでしょう。より直接的に、実際の会議や商談の前に、その場を想定した「ひとりディベート」も役に立つでしょう。会議で自分のアイデアをつぶそうとする意見にどう反論するか、あるいは得意先の厳しい要求をどうかわすか。この場合は、小声でもかまわないので、実際に声に出して行ったほうがより実践的かもしれません。

実際の会議などで、反論が出る場合、「ひとりディベート」で自ら考えた「反論」がそっくり向こうから出てくることが多いのです。あらかじめ、自分が説明する時に、そうした「出てきそうな反論」にあらかじめ触れておくと議論は早く進みます。ただ、この手はあまり頻繁に使うと、ちょっと「嫌み」な感じもあります。ぐうの音も出ないように、すべてについて先回りされると、相手にとっては気持ち的にしこりが残るでしょう。「反論」のチャンスを残しておいてあげるのも戦術。こんなふうに状況ごとに対策が打てるのも「ひとりディベート」の効用です。


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