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37 ずれた会話で考える

人の会話を横で聞いていると、結構おかしなものです。飛んできた球をきちんと受け止めて、相手の胸元へ投げ返している会話のキャッチボールなんて、めったにありません。移動の電車の中で、時間つぶしのカフェで、ちょっと気にしてみればすぐに納得できますね。
 もちろん、入社試験の面接でずれた回答を連発すれば落とされるでしょうし、得意先との会議で的をはずした答えを繰り返せば、契約取りには失敗します。「相手の話をよく聞いて」というのは、社会を円滑に動かしていくための、基本的なルール。
 ところが、アイデアを考えるときには、互いに勘違いをしながら話をしていても、いっこうに構いません。というより、その勘違いやズレを積極的に活用するのです。認知科学の研究でも、あまり相手の話に入り込まず、勝手にヒントを探していく方が、より生産的である、ということが分かってきているとか。
 少し前のことになりますが、カフェの中で私が耳にした会話、ある旅行会社の上司と部下(らしきふたり)による「中高年の顧客獲得についての会話」は、こんな感じでした。
「そういえば、劇団ひとりって、団員はひとりなのかな?」
「えっ(と驚く部下)、まあ、ひとりですよ。それは、ちょうど、明和電機に代表取締役がいても社員がいないのと同じですね」
「単独世帯は日本の四分の一。どこもひとりに向かっているんだな」
「劇団ひとりも、明和電機も、社会の仕組みのパロディになっていて、そこが共通しています」
「孤独なんだな。どこもね。ひとりだから、ふたりを求める。そうゆうことも、あるのかなあ。ところで、中高年の夫婦仲って、良いのかい」
「さあ、それは・・・先輩の所はどうなんですか。そうか、こんな案はどうでしょう。わが社の退職者向けの旅行企画には、みんな組織名をつけましょうよ。エジプト劇団、株式会社ニューヨーク、太平洋幼稚園、唐文明中学校、オペラ大学、プラド美術館財団といった組織名を。いまの中高年は、退職しても結構、組織が好きなんですから」
「うん、そうだ。孤独を救うのは、仲間だよ。劇団千人って言う。年配者の演劇ネットを作ろうよ」
 この会話、まるでかみ合っていません。でも、それぞれがそれぞれに、アイデアをふくらませている。相手の言ったことは、話半分。それでも刺激を受けています。最終的には、歩み寄ったというか、刺激し合った成果が出ています。
 じつはズレこそ、刺激的。訳の分からない落語的な会話は、時に発想をうながすもの。ずれていながら、結果として、ずれていない。何となく、相手のリズムを感じとっている。ただし、内容は、半分程度しか聞いていない。
 ここに、へたに真面目な人が入ると結構大変です。いちいち、いまのは、ずれています。正しくは・・・ じゃないですか、と始まってしまう。こういうタイプが参加するときは、あらかじめ、説明しておきましょう。「時々、ずれているように思うことがあるでしょうが、発想するために、両方ともわざとやっているのだから」と。(本当は、ずれないようにしても、ずれてしまうのですが、それは秘密)。



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