【リアル】相続手続きで「知らない姉」が出てきたお話のまとめ
昭和19年生まれの母親が令和3年2月に77歳で亡くなり、いざ、相続の手続きをすすめるに際して、
「あれ?ドラマかな?」
みたいな状況になりましたので、こちらのnoteにまとめておきます。
母親名義の不動産などはありません。金融機関の預貯金口座をオフィシャルに動かすため、それのみ手続きが必要となりました。
必要書類で言われるのが、「出生から亡くなるまでの戸籍謄本」。
さぁ収集の開始です。
ある日、気合を入れて動き出します。
まず、そもそもの自分の認識。
・母親の実家:東京都北区田端(駅だと「駒込」)。
・父親の本籍:東京都中央区人形町。
(2箇所いけば終わるかな…。)
中央区役所⇒北区役所を廻るも、この淡い幻想は、直後に打ち砕かれます。
北区役所で「戸籍が2つ」出てきたんです。
何を言っているのか、まだ分からないと思いますが…。
母親の生まれは都内でしたが、出生時点の祖父の戸籍が福井県にあったので、戸籍って言われると福井も必要。これは郵送で依頼しました。尚、荒川区とツイートしていましたが、これは出生届がそこで出されていただけでした。
翌日、従前の戸籍を追って江東区役所を攻めます。
ツイートでは色々とごっちゃになってしまいましたが、正確には、江東区は母の2度目(一つ前)の結婚。そして、その時の旦那さんの3番めの奥さんでした。
役所の窓口のオジさんが、
「○○年に残っ念ながら離婚されて北区に異動されていますね!」
と、ちょっとドラマチックに残念を強調されたんですが、それがなかったら自分が産まれていないので、残念なのかどうなのか、ちょっと複雑な気持ち…。
そして、初婚の墨田区を追跡。
この墨田区役所で戸籍の受領を待っている間に、先程取得してきた江東区の戸籍謄本をマジマジと眺めます。
んーそうかー、前の旦那さんの3番めの妻なんか…。
で、その旦那さんは、更に4度目の結婚してるんか…。
※画像は見やすいように繋げてあります。
ん?あれ(右から)4番目のところ、続柄書いてないな、「妻」じゃないのか。
親の名前のところに「母」いるじゃん?
お?え?
するってぇと…オメェ、あれかい?
お…お姉さん? (´・ω・`)
(※Tweetの「2人」については後ほど触れます。)
江東区のこの戸籍謄本で発見した「見知らぬ姉」、その上の項目に「葛飾区の人の後見人に就職」という表記があったため、興奮冷めやらぬまま、17時より少し前に何とか葛飾区役所に滑り込みます。
記載してあった所在でその戸籍謄本を調べてもらうも該当なし。
翌日、ここまでで取得できた戸籍謄本たちがしっかりとつながるか、一旦クールダウンしながら確認。
そして、どうしたら「見知らぬ姉」の所在を追えるか…。
ふむ、昨日「江東区」で取得した戸籍謄本は、あくまで「母主体」での戸籍リサーチ。そうか、「見知らぬ姉」主体で調べてもらえばでてくるかも…。
この考え方はビンゴでした。
「見知らぬ姉」、結婚して江東区から葛飾区へ入籍したのを突き止めます。
再び葛飾区役所へ。
「相続人を確定するため&金融機関提出のため」という形で戸籍謄本や附票(一部証明)を取得することができました。
よし、これであとはそこの(不動産の)謄本を取れば今現在の背景も見えてくるだろう…。
住居表示でマップを見ると、同じ枝番のお家が10棟くらいでてくる。
んー、アパートの一室の可能性もある。ちょっと特定できない。
そこで「見知らぬ姉」の夫の名前と町名でグーグル検索。
ヒット。
お? なにか商店街が出てくる。
あ! なにかお店やってる!
ん! なるほどこの飲み屋の奥さんか!?
あとは登記情報提供サービスからの謄本取得。
ほー、建物は連棟、だけど土地の筆は切れているパターンか。あ、でも抵当権ない。先代からの相続だ。
と、まぁこんな下調べまで出来たところで、
いざアプローチ。
尚、参考にしたのは↓コチラの甲斐先生のサイトに掲載されていた
「2.知らない相続人へ送付する文章例」。
飲食店やってるところなので、ぶっちゃけ電話番号も分かるし、なんならお店に行ってしまえば会えちゃうんだろうけれども…。
やはり手順は必要かな、ということでお手紙からのアプローチ。
封をしようかという直前で、「一応LINEのQRも入れとくか」と、PCからWordに貼り付けて印刷したものを同封してみました。
一週間くらいして連絡なかったら直電しちゃおうかなーなんて思っていた送付5日目くらい。
ピコンと「友達に追加」された通知がっ!
そして…
無事に「見知らぬ姉」から、「一応知ってる(会ったことのある)父違いの姉」となりました。
さて、自分の生い立ちというかプロフ的なものは、noteの使いかたを模索していたときに「誕生秘話」とかで書いたことがあるのですが、この世に生を受けてから、「一人っ子」の認識でした。
30歳位までは。
※尚、今年で39歳になります。みっくみっくです。
母親の兄弟姉妹としては、
昭和17年生まれの長男。
昭和19年生まれの長女(母本人)。
昭和25年生まれの次女。
昭和44年生まれの三女。
母親の兄弟姉妹、要は私から見ると伯父さん・叔母さん。
約30年間そう信じていたのですが、母方の祖母が亡くなるか何かがあって、そのときにポロッと母親から話がでたんです。
母親)「三女は私の子供だから」
関田)「???」
歳の離れた妹だなぁとは、思っていたし、
養子のような話は聞いたことがあったような気もしていた…ケレドモ。
<直接の子>って?
え?なにそれ、ちょっとそれ聞いてない。
関田)「え?それじゃ叔母さんじゃなくて、お姉さんなの?」
母親)「うん、昔の人との子供。」
関田)「本当?」
母親)「本当。」
そう、思い返せば、そのときに…
関田)「他にはいないよね?」
母親)「えっと、いや…ボソボソ(あの子はもう関係ないから…)」
関田)「え?何?まぁいいけど」
たしかに…たしかに、こんなやり取りはあったんです。
あの言いにくそうにしてたやつが、いよいよ噴出したのが今回です。
ったくもう。
さて、戸籍が無事につながっているか、セルフチェックしたものが以下となります。
今回もほぼここまでで全部見せですが、ここから先、プライバシー性がやや高いので、一応有料に。ゼロ歳児の離乳食始まりましたので、よかったらぜひサポートください☆
ここから先は
¥ 330
こちらは執筆及び不動産投資の糧になります!