蛇足ついて01

中国の故事に「蛇足」というものがある。
「誰が蛇の絵を早く描けるか」勝負が行われ、真っ先に描き上げた者がついつい本来蛇には無い足まで描いてしまったために負けてしまう。そこから付け加える必要のないもの、あるいは無用の長物を「蛇足」と呼ぶようになったのである。
しかし私はこの「蛇足」が無駄なものだと思わない。そもそも早く描いた者が勝ちであるなら、足を描こうが手を描こうが帽子を被せようがセリフを付けようが、描き終えた時点で勝利は確定ではないかと思うのだが、今はそれは置いておくとして、足を描いたことによる利点がある。
それは「どんな足にしようか?」と考えた時間があるということだ。他の生き物の足に似せてみるのか、それともオリジナリティを出すのか、長くするのか短くするのか、いっそのことキャタピラにするのか、「あれかな?」「これかな?」と考えて描いたはずである。
この考えた時間は決して無駄なものではない。発想のために充てられた有益なものなのだ。
もうひとつ、足がある蛇の絵を見て様々な想像をした時間があったことも明らかな利点だ。完成した蛇は移動が速そうに見えたのか、それとも遅く見えたのか、見た目がかっこいいのか悪いのか。さらにそこからどんな生態なのかも想像してもおかしくない。想像もまた発想に繋がる。
このように「蛇足」は見慣れたものやありきたりのものを一瞬にして別物にし、発想と想像を生むきっかけとなる。
だから私は「蛇足」が好きなのである。
そんな蛇足について考えていきたい。

つづく

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