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広尾高校について


2024年2月現在
全校生徒数 86名
3年生   36名
2年生   29名
1年生   21名

北海道広尾高等学校HP

2024年2月現在の広尾高校の生徒数です。
もうすぐ3年生が卒業を迎えるので50名になります。

私が勤務している広尾高校について、赴任して約7年の私視点で書かせていただきます。前回長すぎたの今回は短めに書くよう気をつけます。はい、、、



第一印象は人への原点回帰

説明しているのが私です。

およそ7年前、小樽桜陽高校から赴任した日、引っ越しの手伝いに高校生と大人あわせて30人くらい来てくれて驚きました。単身で荷物の少ない私の引っ越し作業は数分で終わりました。

その後、当時120名ほどであった全校生徒の4分の1が引っ越しに来てくれていたことに驚きました。

広尾で過ごしていくうちに割とすぐに気付いたこと、それは、人に興味をもつことでした。他人から興味をもってもらうために労力をかけるのは「モノ」・「コト」で、それが社会を成り立たせていると思っていた当時の私は、自分の考え方を改めざるをえませんでした。

ちょっとコピーかじってる人的な言い方すると、
広尾高校での教員生活は、人への原点回帰から始まりました。
って感じですね。


時代を超えて循環する価値

木材と針金で作った骨組みに和紙を貼り付けます。

働き始めてすぐ、学校祭で伝統行事となっている行燈行列のための作業が始まりました。

足場組んで、テント張って、牧草ロールを運搬する台車に乗せるための行燈を0から作ると聞いて、そんな大がかりな作業を高校生にできるのか?と思いました。

しんどい作業も楽めるマインドは素敵です。

行燈の作業中に感じた、生徒の行燈に対する熱量の高さは今でも忘れません。作る過程はすごく大変です。笑いあり涙ありの感動のストーリーが大小様々各クラスで乱立し、高校生たちは心身共にすり減らしながらも青春を謳歌し、強い思い入れを持ちながら日々の作業に取り組みます。なので当初の心配をよそに、各クラス巨大で迫力のある行燈が完成するんです。

それで浴衣着て町内を行列するんですが、夜の広尾町は都会と違ってけっこう暗いので、生徒たちが作った行燈の強い光が、そりゃもう煌々と輝いて町を照らすんです。1年に1夜限りの非日常的な光景が作られる訳です。

コンビニと行燈の明るさが同じくらいですね。

沿道にはたくさんの人が見に来ます。広尾町のどこにこんなに人がいたんだ?と疑うほどの人数です。屋台とかも出てます。
でも行列の本当の価値はそこじゃないんです。
生徒と一緒に行列に参加した私は気付いたんです。
この行列が2つの「純粋な眼差し」を生み出していることに、、、

小さな手に握られたうちわ
 子供たちは非日常を楽しみます。そこへ浴衣を纏った高校生がやってきて手作りうちわをプレゼントします。
 ただ風を送るだけの道具ではなく、夢を作る魔法の杖をその小さな手に握りしめる子供たち、潜在意識に灯された燈は純粋な眼差しを未来へ伝えます。

ページをめくり取り戻す過去
 大人たちも非日常を楽しみます。行列の様子を見て、かつての苦労と喜びを共有した自分たちの過去が映し出され、「自分たちの頃はこうだった」とマウントをとりつつも、忘れ去られた青春を再燃する燈となります。世代を超えた絆を再確認する瞬間です。社会に揉まれて失われかけた大切なものを、純粋な眼差しで取り戻します。

10年後、かつての子供たちが作る側となるその時、彼らは自らの手で未来を照らす光を作り出します。あの日の非日常が、新たな情熱を灯し、行燈に込められた強い思い入れが、再度次世代へのバトンとなり輪廻します。夜空を照らす行燈の光は、ただの明かりではなく、時代を超え、心を繋ぐメッセージとして、子供たちの未来を創り、大人たちの過去を取り戻します。
作り出した価値が、永遠に循環しています。

これは、私が教員として参加し、実際に感じた、循環する価値を紡ぐ広尾高校の物語です。


もう1つ行事あるけど省略

雪像は校庭に作ります。

驚くことに同じ規模の行事は冬にもう1つありました。
雪像を作って一般公開するという行事です。

流行は漁師用の黄色い手袋です。写真奥の大仏は教員雪像です。

書きたい内容は行燈とほぼ一緒です。
なので省略しますが、これも大変な作業です。寒いし、、、
こちらも行燈と同様に、時代を超えて循環する価値を作り続けています。

あと小さい子供が安全に遊ぶために配慮して作っています。
一般公開の時は高校生たちがボランティアで子供と遊んでくれるので、保護者の方は安心して休憩していてください。ママ友たちと女子会トークで盛り上がっていいただいて構いません。
必要な息抜きですよね。




話を変えます。


近年、学校行事の精選が進む中、行燈制作や雪像制作のような伝統行事の価値が問われています。教育ニーズの増加と働き方改革が、これらの行事を時代遅れと見なす風潮を加速させています。

もちろん対立する意見もあります。両社の間のギャップは対話でしか埋めることはできませんが、教育行政の組織の性質上トップダウンで意思決定が進む仕組みですので、対話の余地を作りにくいところもあります。

私個人の考えですが、授業を減らせばいいと思っています。
多くの行事は原体験ですので、教育的効果は抜群です。行燈と雪像作って循環する価値を生み出すことは本質を射抜いています。
AIの普及とともに、人間本来の性質を再定義して、その価値を高める方向に社会が進んでいることも、行事の重要度を高める1つです。
授業の価値は下がっていますが、様々な工夫をして授業の価値を高めようと行動している教員も増えています。価値って希少性なので、授業の数を減らせば相対的に価値を高めることができます。

ですが今の高校2年生から共通テストの負担も増えるので、授業も増やさないといけない、その分行事を減らそうという考えの方がどうやら優勢です。私の考えはあんまり相手にされません。残念、、、


まぁこんな感じで、いつの時代も教育は、伝統と革新のバランスを如何に調節するかが重要な鍵となります。広尾高校についても対立する意見はあるものの、教育の本質を見直し、授業の量を調整することで、これら貴重な経験が守られるといいですよね。





広尾高校についてまとめ

私は赴任初日から、生徒と地域の人々の温かさに触れ、人への原点回帰の重要性を実感しました。

行燈行列や雪像制作といった学校行事は、生徒たちにとって貴重な原体験となり、時代を超えて循環する価値を生み出しています。

これらの行事が教育的効果を持ち、子供たちの未来を作り、大人たちには青春を取り戻す力があることを私は知っています。

行事を通じて未来を照らし、過去を取り戻す教育の力は、私たちが大切にすべき財産です。



言葉足らずでつたない文章お許しください。貴重なお時間を消費して読んでいただいたことに感謝いたします。



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