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【翻訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(1)

『シモーヌ・ヴェイユとの対話』
ジョゼフ=マリー・ペラン 著
関野哲也 訳


本稿は、Joseph-Marie Perrin, « Mon dialogue avec Simone Weil » のフランス語原著からの邦訳である。

ジョゼフ=マリー・ペラン神父は、シモーヌ・ヴェイユと親しく接していた親友の一人であり、彼女が洗礼を受けるか否かを躊躇、熟考するに際して、相談に乗っていた人物である。したがって、我々が生前のヴェイユを知る上で、ペラン神父は欠くことのできない第一証言者である。

訳出しに際して、底本として以下を用いた。

Joseph-Marie Perrin, « Mon dialogue avec Simone Weil », nouvelle cité RENCONTRES, 1989.

なお、訳出しにあたっては、原著テクストの厳密性を重んじる字義通りの直訳ではなく、日本語で自然に意味の通る意訳を心がけている。

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第1部

第1章「本の冒頭」

シモーヌ・ヴェイユはいくつかの大変美しい詩を残している。彼女にとって、それは自身のひとつの表現方法であったのだ。以下の詩は、特に重要である。私がここに再掲する詩に彼女がつけた題[「プロローグ」]が我々にその重要性を告げ知らせる。

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彼は私の部屋に入ってきて、言った。「何もわからず、何も知らない、哀れな者よ。私と一緒に来なさい。あなたが思いもよらないことを教えてあげよう」私は彼に従った。

彼は私を教会に招き入れた。その教会は新しく、また醜かった。彼は祭壇の前に私を連れてゆき、言った。「ひざまずきなさい」私は彼に言った。「私は洗礼を受けておりません」彼は言った。「この場所の前で、ひざまずきなさい。真理が存在する場所の前でそうするように、愛を込めて」私は従った。

彼は私を外に連れ出し、とある屋根裏部屋まで昇らせた。その部屋の開いた窓からは、街が一望できた。いくつかの木の足場と船荷の陸揚げをする人たちのいる河も。彼は私を座らせた。

私たち二人だけだった。彼は話した。時々、誰かが入ってきて、会話に混じり、そして出て行った。

もう冬ではなかった。まだ春ではなかった。木々の枝には葉がなく、芽もなく、冷たい空気の中、いっぱいの日差しを浴びて。陽が上り、陽が輝き、陽が落ちた。そして、星と月の光が窓から入ってきた。ふたたび、曙光が差した。

時々、彼は黙り、戸棚からパンを取り出した。そして、私たちはそれを分け合った。そのパンは本当にパンの味がした。私はそんな味をそれまで味わったことはなかった。彼は私にワインを注ぎ、自身にもワインを注いだ。そのワインは太陽とこの街が建つ土地の味がした。

彼は私に教えてあげようと約束していたが、彼は何も教えてくれなかった。私たちはいろんなことを取り留めもなく話していた。まるで古くからの友人であるかのように。ある日、彼は言った。「さあ、行きなさい」私はひざまずいて、彼の足に口づけをした。私は彼に懇願した。私を追い払わないでください、と。だが、彼は私を階段へと押しやった。私は何もわからず階段を降りていった。心はずだずたになりながら。私は通りを歩いた。それから、あの家がどこにあったのか、まったくわからないことに私は気づいた。

私はあの家を見つけ出そうとは決してしなかった。彼は間違って私を探しにきたのだと私はわかった。私の居場所はあの屋根裏部屋にはない。私の居場所はどこでもよい。牢獄の独房、いっぱいの装飾品と赤い絨毯が敷きつめられたブルジョワのサロンのひとつ、駅の待合室の中。どこでもよい。だが、あの屋根裏部屋ではない。

彼がわずかに話したことを、畏怖と悔恨を抱いて何度か私は繰り言せずにはいられなかった。私が正確に思い出しているかなど、どうして知ることができよう。私に話そうとする彼はもうここにはいない。

彼が私を愛していないことは、私はよくわかっている。彼が私を愛することなど、どうしてありえよう。でも、私の奥底の何か、私自身の一点が恐れに震えながらもやはり考えてしまうのだ。たぶん、彼は私を愛していた、と。

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ニューヨークを離れる際、シモーヌはこの詩を母親に手渡している。この詩は、その一年前、1941年夏、彼女からギュスターブ・チボンに託されていたものである。彼女はチボンに頼んでいた。いつか彼女の著作を出版することになれば、この詩をその本の冒頭に置いてほしい、と。

ひとつの約束として、彼女のこの頼みは真剣なものであったと私には思われる。彼女の書いたすべてのテクスト群の背後(à l'arrière-plan)に、もっと多くの彼女の勉強、もっと多くの絶えず広がり続ける彼女の学識、もっと多くの常に深められつつある思索があったことをこそ、彼女は知らせたくはなかったのだろうか。神秘的な現前(Présence mystérieuse)がすべてを照らし出し、すべてを彼女に着想させた。

我々が決して忘れることのできない、また忘れてはならない背景(l'arrière-plan)をこの詩が告げ知らせてくる。正確な日付と書き記したもの、そして日付のわかっている記憶のおかげで、我々は彼女の内的充溢(じゅういつ)を垣間見ることができる。その内的充溢は最も重要な現実(la Réalité)、すなわち彼女が用いた表現を借りれば、「人と人との」、神との対話を映し出している。

第1部 第1章・了

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