小さな革命
痛みがあっても良いとする
人間は、痛みを回避するために様々な行動をとり、自分にも周囲にもストレスを与え、不本意な現実を引き寄せるということを知った。だからこそ、自分の中に痛みがあっても良いとする。喜びが2倍になっても、悲しみは半分にならない。悲しみ、痛みの部分を内包したまま、喜びを倍増して感じることができれば、人生は豊かに過ごせるような気がする。
人に恵まれている人生に感謝
今まで、ピンチな時ほど、周囲で支えてくれている仲間が必ず隣にいた。そんな仲間に感謝だ。仲間からの愛を十分に受け取って、今度は、それを与える番なのだろう。愛の循環、豊かさの循環こそが、人生を豊かにする。
開業して10年
開業すると、勤務医の時以上に、経営のことに時間とエネルギーを割かれる。純粋に患者さんを良くしたいという自分の診療の質を上げることに集中することができなかったことに気づいた。そして、本質が見えなくなっていた。私は一体何がしたかったんだっけ?と問われるような出来事が起こるようになった。
トライアンドエラー
一度出来上がった自分の価値観を壊すことって、なかなかできない。10年前、開業した時、勤務医の時にいかに自分が病院思考に陥っていたことを知った。ある意味、仕切り直しをした。そして、7年前に太田に来た時も、2年前にいやさかリゾートを作った時も、一旦、自分のやり方を壊し、再構築した。それでも、こだわりのようなものが手放せずにいた。それは、本質的なものを覆い隠すような価値観だったのかもしれない。自分が分離の痛みを感じないようにしていた回避行動だったのかもしれない。
ガチャガチャと崩れる価値観
つい最近、仲間との会話の中で、頭がかち割られるような衝撃を受けた。45歳になって、いかに自分の思考が複雑化して、無駄が多いと感じるなんて、恥ずかしくて、穴を掘って隠れたいくらいだ。一体、私は何をしたくて、どこへ向かっているんだっけ?そして、その方法論は、これで良いんだっけ?
私がやりたいこと
「学びながら健康になる」という価値観を世の中に広げていきたいということ。自律した健康づくりを広げていくこと。
その軸はずっとぶれずにいる。
今いる仲間とそれを伝えていこう。そう私の中では決めている。
それを伝えるための、セミナーだったり、予防医学コースだったり、診療だったりする。
よりシンプルに、よりパワフルに伝えられるように、根っこから仕組みまで、もう一度再構築する。そう決めた、この3月だ。
医者として、社会活動家として、自分の本質ももう一度、自分自身に問うた。
多分、5年、10年振り返って、頭をかち割られた衝撃は、振り返るんだろうな。あの時、かち割ってなかったら、今の私はなかったと。
そして、どんな時も一緒に夢を追いかけてくれている仲間に感謝だ。
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