医者依存の脱却

医者を辞めたい

先日、医者の不養生にて体調を崩してしまった。風邪を引いた後、夕方の熱感が続く。
だからと言って、診療を休むわけには行かず、自分を誤魔化しながら仕事をしていた。
そんな時、思う。
「医者を辞めたい。」って。

患者との会話

世の中には、立派な医者がたくさんいるものだ。
最近読んだ記事で、感銘を受けたのは、
森田洋之先生の「医者が患者を殺す時」

患者の究極の選択を医者が引き受けるというもの。
私にはとてもこんなことはできないと思うのだ。

日々の患者との会話

「先生、私の身体、良くなりましたでしょうか?」
「先生、先日の治療後、目の症状は改善しません。本当に良くなるのでしょうか?」
「先生、漢方飲みましたが、うつが続きます。」

毎日、そんな相談を受ける。
体調が悪いながら、なんとか笑顔を作りながら診療していたが、ぷつんと、私の糸が切れてしまった。

バカの壁

「バカの壁」養老孟司先生の本を読んで、救われた。
みんな、勘違いしている。
平安時代、平家物語の書き出しは
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
聞く方の人の気持ちが変われば、鐘の音は違って聞こえるということだ。
人間は変化する。
変化することの中から、普遍的な事実を抽出して情報化したものが学問だ。
医学は、人間を対象にする。だから、日々刻々と変化するし、それを対象とする学問が変化していくのも当然である。

絶対はない

患者さんと話していて、みな、答えを欲しがる。
「僕の体調不良の原因は何でしょうか。原因が分かるともっと楽になると思うのです。」
「私の病気は治るのでしょうか。」
その背景には、科学万能主義がある。
科学が絶対である。
これは、宗教に近いと思う。
教祖様のいうことは絶対である。

科学万能主義の崩壊

この世に絶対なんてことはない。
難病になったら、難病になった理由があり、その難病と付き合っていく。その中で、その原因をなるべく取り除き、人生に向き合っていくのだ。
そこに寄り添っていくのが医者の仕事だろうと思うが
「医者が病気を治すことはできない。」
患者の実存的変容が伴なって初めて治癒に向かう。

「医者が治してくれる」の勘違い

統合医療と称して医療を実践していると、他では治らなかったから、いやさかさんでは、きっと治してくれるだろうと期待して患者がやってくる。
ところが、病気の治し方は、多方面に渡る。介入は、食事、睡眠、排泄、運動習慣に渡る。
それだけでも飽き足らず、なんと考え方まで介入していく。

「学びながら健康になる。」

そして、病気を自分ごとにできた時、初めて人間は治癒に向かう。
よって
「さやか先生のお陰で、とても良くなりました。」
と感謝していく人もいれば
「先生、僕は良くなっているでしょうか?」
と?が脳の中に浮いたままの人もいる。

「学ぶ意味」の勘違い

学びの本質とは、学ぶことで、以前とは違った景色が見えるになることだ。
それによって行動が変わり、人生が変わっていくことだ。
ところが、学びを知識の習得だと勘違いしている人は、学びに行動が伴わないのだ。だから、私が伝えたことを一字一句覚えていても、それを腑に落とせず、いつまでも病気からのメッセージを受け取れない人がいる。

医療のあり方が間違えているのか

開業して7−8年経過するが、体調を崩すたびに思う。
「理想の医療」とは違うのだ。
クリニックで、本質的な学びを提供できていない。医療は、患者の依存を作り出してしまっている。手段が西洋医学から東洋医学に移行しただけで、依存の構造は変わらない。
一体、私は何のために開業したのだ。

理想の医療のあり方とは何か

実は、クリニックの診察室で、私が患者と1対1で対話することは、不毛なのではないかと考えている。
「さやか先生、私は、先生に救われたのです。そんなこと言わないで下さい。」と言う声も聞こえてくる。
それでも、私が続けてきたことは、患者教育にはならず、考えずに依存する患者を量産してきたのではないかと悩む。
そして、依存が経済を産む。クリニック経営に直結するのだ。それが、医療界の病理だ。

医者いらずの世界を作れるのか

私が、「いやさかリゾートクリニック」を開業して、一つ自慢できること。それはスタッフ教育してきたことだ。
「考えない人間」を量産している現代教育にうんざりしている一方で、私は、地道に看護師を教育してきた。
彼女らは、すでに、患者が何に悩んで、何が病気の本質的な原因なのか、をバイオレゾナンス法で推定でき、それに必要な生活習慣の改善法、統合医療的アプローチを提案できる。これは私が誇りに思っている。
そして、この手法を「育英メディカル専門学校」の「予防医学コース」で教えている。

未来有望な若者の入社

現代教育で、考えない人間が量産されていることに怒っている私の元に、未来有望な若者が入社してくれた。
彼ら彼女らは、自分の頭で考え、自分で感じることを大切にして生きている。そんな彼ら彼女らのために、閉塞的な医療界を打破して、本質的な健康を提供できる「いやさかリゾート」を創り上げたい。

「いやさかリゾート」の目指すところ

人が「学ぶ」ことによって気づき、癒やされていく、そんな社会を作っていきたい。
「学び」は、一元的な答えを求めるのではなく、多面的に考え、悩み抜く力だ。
人は悩みがあって当然だ。それを安易に片付けるのではなく、科学や宗教に盲信するのではなく、誰かに依存するのではなく、悩みからメッセージを受け取り、学びながら癒していく。

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