研修医よ。あきらめるな。:消化器外科の研修

消化器外科研修の始まり

雄太は、ちょっと苦手な外科研修が始まった。体力に自信がない僕があの強靭な外科の先生たちについていけるだろうか。
朝7時には病棟に行き、患者さんの採血をする。下野大学は病棟実習に6年生の学生が一緒にチームに加わる。はっきり言って、研修医1年目の自分より、堂々としているように見える医学生が僕よりずっと優秀に見えたりする。雄太のチームには、畠山光一といういかにも柔道部という体の大きい目が優しい学生がついた。
「咲山先生、一緒に頑張りましょう。」
採血の補助をしてくれるが、なんとも頼もしい。

体力勝負の日々

朝7時に採血、カンファレンス、病棟回診、病棟患者の処方の確認。手術室に入る。
雄太の指導医は、平塚裕也。看護師の噂で、赤いフェラーリに乗っていると聞いた、いかにもイケメン外科医だった。
「咲山先生、俺が指導医だ。よろしく。外科は体力勝負だ、頑張れよ。俺は、外科に入局して6年目だ。」
もう一人、遠藤治五郎という指導医がついた。50代の背の低めのベテラン医師。とにかく、毎朝、マラソンしてから朝ごはんをしっかり食べてから来るという体育会系の先生だ。
雄太は、このチームの雰囲気が好きだった。サバサバしているし、思ったことをざっくばらんに言い合える感じだ。表裏がない。この2人の医師からは、そんな印象を受けた。

日曜日の朝回診

「咲山くん、明日は、外科の医局内でゴルフコンペがあるんだ。僕たちは、そちらに参加する。そのため、朝の回診は6時から行う。君は、いつも通り出勤して、薬の処方など確認したら帰ってよろしい。」
そんな指示を受けた。研修医が始まって驚いたのだが、病棟を担当している医師は、休みの土日も必ず朝病棟に顔を出し、回診したり看護師の申し送りを聞いて処方の指示を出したりするのだ。休みが休みでないのが常だった。
そう言われた翌日曜日に出勤すると、5階西外科病棟は、ガランとしていた。昨日手術した患者さんの傷の処置はすでに終わっていた。平塚先生と遠藤先生の回診はすでに終わったらしい。
何やらぼうっとしていると、旅館の女将のような看護主任の牧山育子に呼び止められた。
「咲山先生、昨日手術した上杉さん、手術した創部が痛むのは仕方ないことなんだけど、何か、不安が強いようなのよ。」
「そうなんですか。ちょっと話聞いてみますね。」
「助かるわ。そうやって、看護師の報告を聞いて、素直に病室に足を運んでくれる先生って少ないのよ。咲山先生、研修医終わって、立派な先生になっても、そうやって患者さんの声を聞いてね。」
「あ、はい。」
どうやら、外科の先生は、手術の時は生き生きしているが、患者さん一人一人と向き合うことは苦手のようだ。
僕のように内科志向の者には、手術室の異空間の方が大変だと思うが、外科の先生は、手術室内では水を得た魚のように生き生きしている。

病室で

上杉士郎さん、76歳男性。膵臓癌、胆管浸潤あり、昨日、膵頭十二指腸切除術を行ったばかりだ。ドレナージ管が腹部から出ている。
「上杉さん、気分はいかがですか。」
「あ、咲山先生、おはようございます。来てくれたんですね。朝早く、平塚先生たちも来て、傷を見ていってくれました。大丈夫ですよって。
でもね。昨日は、薬を飲まないと眠れなかった。寝ている間中、なんか異様な夢を見ましたよ。」
「そうでしたか。どんな夢だったのでしょう。」
「自分の父親が出てきたんですよ。そして、お前何やってんだって目をしているんです。何か、言葉じゃなくて、テレパシーのようなもので伝える感じです。」
「何やってるんだ、って怒ってたんですか。」
「う〜ん。そんな感じです。いや、私は、7人兄弟の6番目なんです。兄3人と姉2人、妹1人がいるわけで、男としては一番下で。それで、兄3人は私よりずっと強くて、賢くて、私だけ、ひ弱で良く風邪をひいたり、体調を崩して学校を休んだりして。その度に、母親が、庭に生えているゲンノショウコという植物を煎じて飲ませてくれるんですけど、それが不味くてね。そんなお茶を飲んでいると、決まって、父親が来て、士郎はダメだなあ。って呟くんですよ。」
「ダメって何がダメなんですか。」
「だから、体が弱いってことですよ。」
「そうなんですか。そのお父様が夢に出てきたんですね。」
「そうです。76年間生きてきたけど、結局のところ、私は、ダメだったんかな。って。だって、こうやって、手術して腹を切られて、それで、終わっちゃうのかなって。」
「だって、生きてるじゃないですか。今。」
「そうだよね。咲山先生。俺は、生きてるんだよな。」
「そうですよ。人は、役割があるのですよ。上杉さんが生きていることで、僕、研修医ですけど、毎日励まされてるんです。僕、頑張らなくっちゃって。」
「ありがとう。」
そう言って、上杉さんは、涙を静かに流していた。
「また、来ますね。」

上杉さんの声

その1週間後、上杉さんは、突然の腹痛に見舞われた。精査の結果、縫合不全で、膵液が腹腔内に漏れているという。
「遠藤先生、俺は、もう腹を切りたくないんだ!」
「上杉さん、まだ生きられるんですよ。もう一度、手術頑張りましょう。」
「俺は、もう良いんだよ。」
「良くないよ。俺たちは、プロなんだ。救える命を放っておけるわけがないじゃないか。」
そう言って、上杉さんと対話している遠藤先生は、かっこよかった。
そして、上杉さんと奥さん、息子さんに病状説明(ムンテラ)して、再手術となった。手術は、8時間に及んだ。手術は成功した。術後、上杉さんはICUに入室となった。

僕は、家に帰った後も、遠藤先生の声が耳に残った。
「救える命を放っておけるわけがないじゃないか。」
僕だったら、上杉さんに寄り添いすぎて、そのまま、手術をしなかったかもしれない。そのまま上杉さんを看取るという決断をしたかもしれない。
遠藤先生のあの確信は一体どこから来たのだろうか。

3週間して、上杉さんは退院して行った。退院前に、ナースステーションに挨拶に来た上杉さんは、奥さんと一緒で嬉しそうだった。

医者の仕事

結局、医者の仕事って何だろう。人の生死は、運命で決まっているのではないか。その生死を操作することは、人間には許されていないのではないか。人間って弱い存在だからこそ、医者のような医療者が、寄り添い、使命を全うできるよう支援する者が必要なのか。
僕は、そんな支援ができるのだろうか。
僕自身が、病気になった時、そんな支援が必要なのか。


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