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コルベ神父『母への手紙』08 ティボリの絵はがき(19歳)

1912年(大正元年)から1917年(大正6年)まで

18歳から23歳までのプロフィール
●18歳-ローマ・グレゴリアン大学へ留学
●20歳-父・ユリオ・コルベがロシア軍から殺害される。享年43歳
●21歳-グレゴリアン大学より哲学博士号を受ける
●23歳-同士六人で聖母の騎士信心会を創立

1913年10月21日ティボリの絵はがき(19歳)

ローマ

愛するお母さま

10月14日木曜日、ローマに戻ってきました。お母さまのお手紙は、ザガロロで受け取りました。ありがとうございました。

休暇の終わり頃は、実に楽しく、新しいことでいっぱいでした。例えば、ときを同じくして開かれていた総会議(正確には臨時総会議)で、ぼくらの校長ドミニコ・タバニ師が、病気のビットレ・ストッツ総会長の代理として、副総会長に選ばれ、ポーランド、ガリチアのペレグリノ・ハクツェラ管区長が、総評議員に選ばれたのです。

総会議後間もなく、副総会長と総評議員、ドイツ系とポーランド系のアメリカ人管区長たち、その他の人びとがザガロロに訪ねてきてくださいました。ぼくたちポーランド人は、ほとんどその日一日中、ぼくたちの管区長さまと一緒でした。

翌日は一日かけて、ティボリへ遠足をしました。この絵はがきの滝のあるところです。

今日、黙想会が始まり、その後、授業が始まります。黙想で新しく生まれ変われるよう、特別にお祈りください。

お母さまの愛する
フラ・マキシミリアノ

追伸、同じような絵はがきを、お父さまとヨゼフにも送りました。

コンベンツアル聖フランシスコ修道会関町修学院のサイトでも続きをご覧いただけます。

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