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コルベ神父『母への手紙』09 ルルドの水(20歳)



1912年(大正元年)から1917年(大正6年)18歳から23歳までのプロフィール
●18歳-ローマ・グレゴリアン大学へ留学
●20歳-父・ユリオ・コルベがロシア軍から殺害される。享年43歳
●21歳-グレゴリアン大学より哲学博士号を受ける
●23歳-同士六人で聖母の騎士信心会を創立

映画『二つの冠』のワンシーンにあるエピソードを報告する手紙です。



1914年4月6日ルルドの水(20歳)

ローマ

愛するお母さま

主の復活祭に当たり、おめでとうを申し上げます。遠く離れていて、習慣通りに復活祭の卵を分け合えないのは残念です。

ぼくはお母さまに、特に健康や成功を願いはしません。それよりもっとすばらしいことを望んでいるからです。「お母さまのうえに、父なる神のすべてのみ旨が果たされますように」と望んでいます。これが、ぼくが望める最高の良いものです。神さまでさえ、これよりよいことは、お望みになれないでしょう。

時間は稲妻のように速く過ぎ去って行きますね。余計なことは書きません。時間がありませんし、副総会長ドミニコ・タバニ師も、あまりこまごました音信はしないよう望んでおられるからです。

最近、特に重大なことといえば、右手の指を一本、危うく失いかけたことぐらいでしょうか。腫れ物ができたのです。校医の治療にもかかわらず、膿が止まりませんでした。やがて、骨までおかされていることに医者は気づいたのです。そこで骨の一部を削り取る外科手術が必要だということになりました。

これを聞いたぼくは、とても良い薬をもっていると話したのです。ぼくは、ルイジ・ボンディニ校長神父さまから、ルルドの水を少しもらっていました。神父様は、ぼくにこの水を分けてくださるとき、ご自分に起きた不思議な出来事を話してくださったのでした。

神父さまは、十二歳のとき、足の裏ががんにおかされ、痛さのあまり眠ることもできず、叫び出すこともあったそうです。足を切断しなければならなくなり、医師たちが相談のために集まりました。ことのなりゆきを見たお母さんは、新しい治療法を試みたのです。まず包帯を取り去り、石鹸で洗った後、ルルドの水ですすいだのです。少年は久しぶりに眠ることができました。十五分後に目覚めた時は、もう治っていたのです。奇跡であることは明らかでした。しかし、医師は信じようとせず、なんとか別の理由で解明しようとしたそうです。いずれにしろ、数日後に患部を切開しましたが、医師は不思議なことを目撃したのです。確かに骨がんになっていたのに、その部分だけきれいに離れており、奇跡的に取り除くことができたというのです。

この奇跡の後、医師は改心し、自費で教会を建てるまでになりました。校長神父様が元通り歩けるようになられたのは、もちろんのことです。

ところで、ぼくの校医は、ぼくがルルドの水をもっていることを知ると、彼自身喜んで、ぼくの指に塗ってくれたのです。結果は?その翌日、外科医が、手術の必要なしというまでによくなったのです。その後、数回の手当で、ぼくは完全に治りました。だから、神さまと汚れなき聖母に感謝!

お祈りを心からお願いします。

愛するお母さまの
フラ・マキシミリアノ

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