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聖母の「謙遜」について

2020年10月ロザリオ祭アカデミア
兄弟たちに向けて 
コンベンツアル聖フランシスコ会P神学生


私たちフランシスカンは、聖母マリア、とりわけ無原罪の聖母を大切にしてきました。そのため、このロザリオの月に、特に聖母に対する信心を深めることは、私たちにとって意義深いものであります。今回この場で、お話をさせて頂くにあたり、私はフランシスカンとして、ボナヴェントゥラがマリアについて言及した箇所を引用しつつ、マリアについての個人の思索を述べてみたいと思います。

普段、私たちはマリアを「神の母」としてみる一方、「1人のおとめ」としてみています。実際、ルカ福音書では、この「1人のおとめ」のもとに、大天使ガブリエルが現れ、この「1人のおとめ」のもとに聖霊が下ったのであり、この「1人のおとめ」に御子イエスが宿られたのであります。ですから、「聖霊の神殿」とされるためには、「おとめであること」即ち「処女性」「清らかさ」が必要なのであると、私たちは想像しますし、実際「心の清い人は幸い、その人たちは神を見る」という福音書のみ言葉を思い浮かべます。ですが、このマリアの処女性について、ボナヴェントゥラはこのように述べます。

謙虚さがなくても おとめであることが神の御心にかなうなどと、ゆめゆめ考えないでください。マリアでさえ、傲慢を宿していたなら、決して神の母とされることはなかったでしょう。ですからこそ、聖ベルナルドは『あえていえば、謙虚さなしには、マリアの処女性も神の御心にかなうことはない』と言うのです。ですから、謙虚さは大いなる徳なのです。謙虚さを身に着けることなしには、一つの徳も存在しないだけでなく、徳すらも傲慢になりかわってしまうのです※1。


ですから、このボナヴェントゥラの叙述によると、大天使ガブリエルがマリアのもとに現れたのは、マリアが おとめであったからであるよりも、マリアが「謙遜」であったからであり、聖霊がマリアに下ったのは、マリアがおとめであったからであるよりも、マリアが「謙遜」であったからであり、御子イエスがマリアの胎に宿られたのは、マリアがおとめであったからであるよりも、マリアが「謙遜」であったからであるといえます。そして、処女性に於ける「清らかさ」という徳よりも「謙遜」の徳の方が大いなるものなのであるとボナヴェントゥラはみなしているのです。

実際、聖書の記述によると、マリアはおとめであることを誇っていたとは言えず、寧ろ、一般的な価値基準では、何も誇ることができない状態であったといえます。例えば、ヨセフは、マリアが(自分の子とは違う子を)身ごもっているということで、「ひそかに離縁しようとしていた」のでありますし、「マリアは夫ヨセフとは違う子をはらんだ」つまり「マリアは姦通の罪を犯した」という噂が、当時のガリラヤ中に広まっていたとの推察も可能です。主のご降誕の場面で、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とは、実際に宿屋が満員だったからである、というよりも、むしろ姦通の罪を犯したとの噂のあるマリアを泊めることに抵抗があったからだとも、読むことができるでしょう。
 
このように、マリアはおとめであることを誇っていたとは言えず、寧ろ、一般的な価値基準では、何も誇ることができない状態であったといえます。それ故にこそ、マリアは自らのことを「身分の低い、この主のはしため」と自称しているのです。ですが、ボナヴェントゥラやベルナルドは、このマリアの姿に、大いなる徳である「謙遜さ」をみていたのです。
 
私たちは、神から頂いた善を、全く「自分のもの」としてしまい、傲慢や虚栄心やうぬぼれを育みます。ですが、謙遜は、傲慢や虚栄心やうぬぼれとは正反対のものです。マリアは、神のみ前に身を屈め、あらゆる善を神に帰し、自らの意志の実現よりも、神の御心の実現を望みました。この謙遜なマリアを神は選びました。そしてマリアは自らを「身分の低い、この主のはしため」と自称し、実際に、人々から蔑まれ卑しめられるという、非常に具体的な「貧しい生涯」を経験しました。ですが、マリアはこの謙遜さの故に、まことに「心の貧しい者」になり、この貧しさの故に、主はマリアを「聖霊の神殿」、「神の母」とされたのです。
 
私たちが、マリアの模範から謙遜を学ぶのであれば、謙遜を生きることは、単に概念を追い求めることでも、忖度をすることでもありません。寧ろ、自分の傲慢や虚栄を捨て、具体的な貧しさを経験することが、謙遜を学ぶ入り口であるといえます。この謙遜の生き方を、マリアの模範を通して学び、このロザリオの月以降も、フランシスカンとして修道生活を通して実践してゆくことができるよう、貧しさの内に謙遜の道を歩みましょう。


※1  ボナヴェントゥラ「生命の完成-修道女に宛てて」『観想の道 三様の道・生命の完成』、小高毅訳、サンパウロ、2004年、pp.86-87。

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