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聖フランシスコと味わう主日のみことば〈聖霊降臨〉

父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである(ヨハネ15・26-27)。



イエスが天の父のもとに昇っていかれたことによって、地上に残された弟子たちに、〈弁護者〉としての〈聖霊〉が与えられると、イエスは彼らに約束しました。イエスによれば、〈聖霊〉は「父のもとから出る〈真理の霊〉」(15・26)です。そして、その〈真理の霊〉は、イエスについて「証しをなさる」(同)のです。

〈父〉である神から出る〈真理の霊〉は、〈子〉であるイエスを証しする・・・・、つまり、〈父〉なる神の唯一の存在目的は、〈子〉であるイエスをご自身の〈霊〉をもって証しすることだと言えるでしょう。そして、その〈真理の霊〉は、イエスとともにいる弟子たちにも、イエスを証しする力を与えると、イエスは言います。わたしたちは、ここに、〈父〉と〈子〉と〈聖霊〉という〈三つ〉にして〈一つ〉の神の、不思議な神秘の前に立たされていることに気がつきます。〈父〉も〈聖霊〉も、その望みは〈子〉であるイエスを証しすることにあるのです。そして、〈子〉であるイエスは、自分の持っているものはすべて〈父〉からのものであると宣言します。

アシジの聖フランシスコは、この神の捉えがたい神秘を、次のように述べています。

御父は「近づきがたい光」(Ⅰテモ6・16参照)の中に住んでおられ、「神は霊であり」(ヨハ4・24)、「いまだかつて神を見た者はありません」(ヨハ1・18)。ですから、ただ霊によってのみ神を見ることができます〈『訓戒の言葉』〉※1。


フランシスコが言うように、わたしたちは〈聖霊〉を受けることによって、神がどのような方であるのかを知るのです。そして、その神は〈御子〉を限りなく愛する〈父〉なる神であり、その〈父〉にすべてを委ねて愛する〈子〉なる神だということを、わたしたちは〈聖霊〉によって教えられるのです。

ですが、それは何か漠然と、頭で考えて納得することではありません。そうではなく、〈聖霊〉は、〈父〉なる神の〈子〉に対する〈愛〉を、そして、〈子〉なる神の〈父〉への〈愛〉を、わたしたちの心に働きかけて、何かしら不思議な仕方で燃え立たせる〈体験〉なのです。

〈聖霊降臨〉は、単に2000年前に起きた一度きりの記念的な出来事ではありません。それは、いつの時代のすべてのキリスト者にとっても根本的な〈体験〉なのです。その〈聖霊〉による〈体験〉は、わたしたちの生き方を目覚めさせ、〈父〉と〈子〉の〈愛〉の交わりに生きる強い〈招き〉を感じさせます。それを感じたからこそ、フランシスコは家を出て、〈主〉に従う道を選んだのでした。

フランシスコは、自らの内に〈体験〉したこの〈聖霊〉による〈父〉と〈子〉の〈愛〉を、自分の生き方に共感してやってきたすべての兄弟たちにも味わい、体験し、生きて欲しいと切望し、次のような祈りを残しています。

全能、永遠、正義、慈しみの神よ、
惨めな私たちに、
あなたのお望みだと分かっていることを
あなたご自身のために果たさせてください。
また、御心にかなうことを いつも望ませてください。

こうして、内的に清められ、
聖霊の火で燃え立たせられて、
あなたの愛し子、私たちの主イエス・キリストの御足跡に従えますように。

そして、いと高きお方よ、
ただ、あなたの恵みによって あなたのもとに行けますように。
あなたは 完全な三位・単純な一体のうちに
全能の神として生き、治め、栄光のうちにおられます。

世々にいたるまで。
アーメン。

〈『全兄弟会にあてた手紙』〉※2


フランシスコのように、わたしたちも、この〈聖霊〉による〈父〉と〈子〉の間で交わされている名状しがたい〈愛〉のほとばしりを、いくらかでも自らの内に体験できるならば、わたしたちの生き方も使徒達のように根本的に変えられていくことでしょう。


※1 『アシジの聖フランシスコの商品集』庄司篤訳、聖母の騎士社、1988年、29頁。
※2 同書、106-107頁。

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