見出し画像

コルベ神父『母への手紙』05 母の修道院入り2(19歳)

聖コルベ神父が18歳から死の直前まで母マリア・ドンブロスカへ綴った手紙。
聖母の騎士社刊『母への手紙』より

1912年(大正元年)から1917年(大正6年)まで

18歳から23歳までのプロフィール
●18歳-ローマ・グレゴリアン大学へ留学
●20歳-父・ユリオ・コルベがロシア軍から殺害される。享年43歳
●21歳-グレゴリアン大学より哲学博士号を受ける
●23歳-同士六人で聖母の騎士信心会を創立

1913年1月19日母の修道院入り2(19歳)

愛するお母さま

九日の夕方、おはがきを受け取りました。翌日、さっそくセラフィノ師のところへ行きましたら、同師は、すぐアシジに問い合わせてみること、また大神学校を見に行くから、その時ついでに返事を持っていってあげよう、と約束して下さいました。けれども、時間がなかったと見えて、昨日十八日までお見えになりませんでした。

ところが昨日、聖ペトロの教座の祝日に、全免償を受けるため聖ペトロ大聖堂へ行った神学生たちが、セラフィノ師と会い、返事を持ってきてくれました。それによると、セラフィノ師は、三つの修道院に問い合わせて下さったようです。1番目の修道院は年齢の理由で断ってきており、二番目(これはバイエルンの修道院ですが)は、バイエルン人しか受け入れないこと、三番目は、自分たちだけでさえ食べていけない状態なので、だれも受け入れられないという返事だったようです。英知の神のみ旨のままになりますように。

お母さまは、このなりゆきを、ペレグリノ・ハクツェラ管区長さまにお話になってみて下さい。セラフィノ師も、そう勧めていらっしゃいます。管区長さまは多分、ことを早く解決して下さるでしょう。その他の障害については、セラフィノ師が助けてくださることと思います。

いつもお祈りをお願いします。

フラ・マキシミリアノ

コンベンツアル聖フランシスコ修道会関町修学院サイトでも続きをご覧いただけます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?