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コンベンツアル会ゆかりの聖人たち-第四回 聖ボナベントゥラ・ダ・バニョレージョ(1221-1274)

小さき兄弟会の第二の創立者と呼ばれる聖ボナベントゥラの紹介

聖ボナベントゥラ・ダ・バニョレージョ(1221年-1274年)

ボナベントゥラ・ダ・バニョレージョことジョバンニ・フィダンツァは、現在のヴィテルボ県のバニョレージョで1221年に生まれました。幼い頃、奇跡的に聖フランシスコに病を癒やされたと言われています。

1236年学問を志しパリへ進学します。1243年頃にフランシスコ会に入会し哲学と神学の研究を続けます。1257年トマス・アクイナスと共に「マジステル」の称号を手にしました。同じ年、フランシスコ会の総長となりました。

1265年ヨークの司教となり、1273年グレゴリオ10世教皇は、彼を枢機卿に任命し、翌年開かれることになっている第二リヨン公会議を準備する任務に就かせます。この公会議はギリシャ教会とラテン教会の和解の実現を目指した会議でした。ボナベントゥラは公会議の終了を待たずして1274年7月14日の夜に教皇の腕の中リヨンでなくなりました。

1482年シクスト4世教皇により列聖され、1588年にシクスト5世教皇により教会博士にあげられました。「熾天使的」と称されフランシスコ会神秘主義を代表する人物として知られています。(レオ13世教皇は彼を「キリスト教の神秘主義の君」と称えました。)

聖ボナベントゥラの個性と著作は、中世においての教会の文化に深い痕跡を残しました。フランシスコ会士たちにとって、彼は、スピリチュアル派とコンベンツアル派の分裂の危機の時代に、外部の攻撃から修道会を守る強力な砦であり、スピリチュアル派の異端的傾向を非難しつつ、彼らの持つ厳格さを擁護する「ナルボンヌ会憲」を起草し、第二の創立者とも言われています。この出来事はフランシスコ会に新しい力と団結をもたらしました。

彼の豊かな哲学的及び神学的な著作の一つとして『魂の神への道程(Itinerarium mentis in Deum)』が挙げられます。これはあのダンテも愛読していたと言われています。この著作は、聖アウグスティヌスの思想を発展させ、人間が神に立ち返る道としての哲学と、人間の知識の頂点としての「神の啓示」を提示しました。

また聖ボナベントゥラは、アシジの聖フランシスコについて2つの公式伝記『大伝記』『小伝記』の著者でもあります。

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