見出し画像

1989年 牧瀬里穂 JR東海CM 追想とか

1989年のCMの解説を読み、大層おもしろかったので、当時の若者世代として、いくつかのポイントについて書いてみました。当時中学生でいらしたという筆者の方より、一回り上の世代として、当時の感覚を思い出して書いてみました。同世代の方からは異論もあるかと思いますが、若い世代の方には異世界の話として読んでいただけるとうれしいです。

①世相
当時は、日本的経営が大絶賛されており、独身男性の場合、会社の命に従って即座に地方に転勤したりということが普通にありました。

女性の場合は、所謂「総合職(新しい概念でした。それまでは性別で会社内の役割が決まっていたので総合職や一般職という概念がなかったのです)」でも転勤は少なく、結婚退職が普通にありました(山口百恵が21歳で引退、ダイアナ妃が20歳で結婚していた時代です)。また、女性社員を無闇に残業させると女性のお父さんから文句の電話が上司にかかってくることもありました。

そんな中で、日本企業の「ボトムアップ的」人事移動が、なぜか絶賛され、地方の現場や工場や営業所での下積み勤務が当然のように、若手男性社員に課せられていました。よって、遠距離恋愛問題は常に発生し、ほぼ殆どの場合、遠くに行くのは男性で地元に残るのが女性でした。その風潮を背景として、JRのCMは多くの共感を持って受け入れられました。近県の場合、夜中の高速道路を飛ばして会いに行く男性は多かったと思います。どちらにせよ動くのは男性の役目でした。

②柱の陰
当時、若い男女が柱の陰で待つとか、かくれんぼみたいにして「待ち合わせで遊ぶ」という文化がありました。

携帯電話が無いので、一旦外に出ると、伝言ダイヤル(公衆電話から留守電を吹き込んでおけば、公衆電話で特定の数字をダイヤルするとメッセージが再生できるサービス)くらいしかなかったのですが、それを逆手に取って、待ち合わせのすれ違い自体を遊ぶ文化がありました。

女性は基本的に一つの場所にいて、男性が走って探し回るのが通例ですが、会えないかもしれないリスク自体を楽しんで、会えた時の嬉しさを倍にする感じです。そのバリエーションとして、このCMのように、女性がサプライズで迎えにきて柱の陰で待つというのは、非常に納得できるシーンだと思います。

③夜の待ち合わせ
名古屋の状況はよくわからないのですが、東京では22時待ち合わせとか、若い社会人カップルだったら普通にあったと思います。夜遅くに営業している店もたくさんありましたし、路上駐車も自由にできたし、深夜の交通取り締まりも緩かったので。

なんといっても「24時間働けますか」の時代なので、夜中に待ち合わせてデートして、翌朝普通に出社ということはよくあったと思います。但し、当時の若い女性が自宅や寮に住んでいた場合「門限」というものがあり、これが一番のハードルでした。

③プレゼント
筒状のプレゼントですが、ワインではないと思います。当時の女性はそんなに重いものは持ちませんし、女性から男性にお酒を贈るという習慣は一般的ではなかったと思います。当時の若いカップルのシチュエーションでは、女性からのプレゼントとしては「手造り」が主流でした。編み物やお菓子が多かったです。

牧瀬里穂さんの服装を見ると、彼女は服飾かクリエイティブ系の学生か仕事についているようです。自分で描いた絵か、もしくは当時流行っていた「中身が想像つかないラッピング」をした手芸系のプレゼントのような気がします。商品を販売せずにラッピング素材とサービスのみを提供する店ができてきた頃の話でした。

もう少し年上の女性だと、フランス映画等のマニアックなカレンダーを買って贈るということがあり得ますが、当時の彼女の年齢設定でいくと、それはあまり一般的ではないように思います。

④ぎりぎりの時間
当時は、携帯電話もなく、外出すると連絡が取れないので、早めに行動していたかというと、全くそんなことはありませんでした。今よりも時間生産性がやかましくなかったので、時間にはルーズでした

特に女性の場合、メイクやファッションやアクセサリー選びで時間がかかることに加え「女性が少し遅く行って待たせる」ことについて、男性は寛容であるべきという規範がありました。尚、女性に「遅くなってゴメン」と言われたら、何時間待っていても「今来たところ」と答えるのがマナーでした。

よって、牧瀬里穂さんの小走りは、いつもの調子でゆっくりしていたら、サプライズお出迎えだということに途中で気づき、そして走ったという感じではないかと思います。

それではよいクリスマスを

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?