【坐することから生まれる】
本音で語り合える距離は、畳半畳、三尺と言われている。茶の席も同じ。座禅の場合は、半眼となる。
近すぎず、遠すぎず。心を鎮め、自然体で向き合える距離感。
一対一の時は、膝を突き合わせ、考えながらじっくり語り合う。複数の時は車座となり皆で心を通わす。
日本人にとって坐することは、落ち着き、整理して話すことができ、相手も集中して聞きとりやすくなるのではなかろうか。
近年の講演、プレゼンは立位でアクションをしながら、スクリーンに映る映像や言葉を印象づけるスタイルが多い。
しかし、演者の話をしっかり聞き、共感できるのは、坐して話す落語スタイルや、講演の演台スタイルが究極かもしれない。そこには、映像も言葉の表示もない。受け手の心、想像力をいかに揺らすかである。
雰囲気に流されず、自分の心にしっかりと落とし込むこと。そして、主体的な行動へ移すこと。
本音を突き合わせ、互いが自分ごととなっていく空間、場。話し手の引き込む力、聞く側の理解する力。人間力と社会環境が問われる。
真似事のスタイルでは、届かない。
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