スナップショット-_1

コミュ二ティと生老病死

これまで”元気に生きる”視点からコミュ二ティと向き合ってきたが、今年は老いる、病気と付き合うという”生き抜く”視点からの機会をいただいた。決して暗いイメージではなく、前向きな思い、シーンにたくさん出会った。誰のためでもなくできることを続けることが、結局は家族の、地域の元気につながっていくことの再確認となった。

水戸に来て偶然出会った「ぴんころ地蔵尊講」そして、ぴんころ地蔵会の皆さん。会長の大川さんに教えていただいた、「花を咲かせない」「実をつけない」「あるがまま」の姿勢は、コミュ二ティが継続する理由が集約されていた。

いつまでも”ぴんぴん”と元気に過ごせ、寝たきりにならず死ぬ時は”ころり”と逝きたいとの願いを込め、多くの人が毎月23日の地蔵講へお参りされていた。何より象徴的でほほえましかったのが、「元気そうだね」の声をかけ合い、少し見かけなければ「あー、どうしてた?心配していたよ」と互いを気遣われていたこと。コミュ二ティヘルスの最も大切なことは、思いやる気持ちと声をかけあうこと、何をするではなく寄り添う心である。

6月より始めた「コミュ二ティと在宅医療のお話し会」では、コミュ二ティのつながり、底力を感じた。当初、水戸は馴染みのないものはあまり興味を示さないのではと聞いていたのだが、市内の高齢化が進む状況からか地区の皆さまに賛同をいただき、数か所の市民センターで開催することにつながった。地域で病気や死、在宅医療を語り合うことは決して特別なことではなく、どの会場でも一度話始めたら止まらない。ただこれまで話が出来る場、機会がなかったのが実情であった。

また、コミュ二ティの土台がまだまだしっかりとある水戸では、情報配信も地区回覧版機能が残っており、町内会の方々に協力いただき開催情報を伝えれるようになった。もちろん全ての方の目に留まるものではないが、力強いつながりに出会えた。

今あるコミュ二ティと新しいつながり(人、情報)。高齢化社会、とりわけ地域のコミュ二ティでは日常生活を大きく変えることは難しいが、寄り添いながら少しづつでも新しいつながりができれば、元々ある地域文化が良いかたちで進化するのではないかと思う。(文 関原宏昭)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?