感想/終ワル(ポセ)

アニメと原作を履修して感じたポセイドンというキャラクターについて。


顔が良い。全員そうやけど、顔が良い。ずば抜けて品の良い顔立ち。孤高の美しさ。高邁な立ち居振る舞いに震えた。

神は存在するだけで完璧であるから、群れる事も頼ることも謀る事もしない。
「群れる、謀る、などいずれか一つでも当てはまるならば神としての存在意義はない」と思っているからこそ、小次郎の純粋な言葉をプライドが許さなかったような。
孤独であることが神で、それが全てであるのに、「寂しいねぇ」と不足しているように言われたことが気に入らなかった、みたいなね。

アニメでは気付かなかったけれど、小次郎に何か言われた後の表情はどちらかと言えば寂しさをどこかで自覚しているようでもあったような。
神が持っていないものを、見下した人間が持っている。まるで自分よりも満ち足りたように生きている。それが気に入らなくて段々ムキになったように見えた。

回想シーンでアダマスの最期、「こっちを見ろ!」に対して視線を向けたのは兄の最期を見届ける為なのか、「これで満足か」と嘲笑う為なのか…。
もしかしたら小さい頃から自分を気に掛けていた兄にも気付いていたのかもしれない(興味はなかったやろうけれど)…辛い。
絶対の存在である事に固執して、神として認める訳にいかなかった兄を殺した心が、小次郎によって蒸し返されて蝕まれたような。あの限られた回想にそう思わされた…。

多くを語らないごく僅かな言葉数は、きっと独りで生きてきたからなのかもしれないと思ったらしんどい。知識を得るには文字で事足りるけれど、言葉はやっぱり会話から生まれるもんやと思うから、独りで増やせるわけがないんだよ…。小次郎がかけてくれる言葉に新鮮さを感じていたり、理解できないまま内心戸惑っていたりしたら可愛いなと思う。

笑顔の「雑魚が」に身も心も引き裂かれた。小次郎、よくもあんな真剣な顔でいられたよな…鼻血とか出してもおかしくないシーン。原作もアニメも隅々まで麗しかった。

鼻歌や口笛がポセイドンなりの手向けというか、弔いなのかと考えてみたり。神話に何かあるのかもしれないけれど、そこは知らないので想像で。(また調べる。)

「雑魚」って言葉自体の意味として、「大物に対する小物」という意味もあるけれど、「様々な種類の混じった魚」という意味もあるって思ったらさ、勿論戦っていたのは"佐々木小次郎"だけなんやけれど、小次郎を通して見た背景にいる人間達をも見た言葉になるんやとしたら感慨深い。
最後すら「雑魚が」しか言わんかったんよ?こんなに悲しい散り方は知らない…。もし生きてたらその先は何を感じて生きたんやろうね。それも気になる。
別に人間を認めた訳じゃないし、神が全てであるという意見は曲がらないからこそ、負け惜しみのような「雑魚が」になったのかもしれない。

余計な物語や言葉がなく、入れ込むような感情がなかっただけに尊大さや畏怖や畏敬が感じられて好きでした。(勿論他の登場人物に余計な物語を感じた事はないけれど)

現代なりなんなりに転生して小次郎とごたごたしながら幸せになって欲しい。兄と喧嘩しつつ仲良くしてほしい。弟にいじられながら愛されて欲しい。ほんで、報われて欲しい、アダマス。

以上です。

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