麻道日記⑤
「いい友達」検定があるとする。並べられた項目をチェックしていくと、自分が良い友達として、何級かが分かる。項目は初級から上級まで分かれ、内容も段々と難しくなっていく。
初級は、「徹夜明け友達の見送りに駅まで行ける」、「初対面の友達にグータッチを求められても動じない」、などから、上級では、「BBQの予約から具材の調達までして、割り勘で皆からお金だけ貰う」、「高校のとき少しだけつるんだ同級生の借金の保証人になる」など、色々ある中のひとつに、「最高のタイミングでジョイントをサーブできる。」という項目も欧米には存在する。俺にとっては、それにチェックを入れることは憧れであり目標だった。
例えば休日の朝、砧公園まで一緒にサイクリングして、公園内を歩いて、ひとしきり話して、ベンチに腰かけて、ひと息ついたとき。
例えばクリストファー・ノーランやアルフォンソ・キュアロンの映画を観る前に、映画館の外で。
例えば、そいつの家に泊まりに行って、ジョジョやHUNTER × HUNTERを何となく手にして読み始めたとき。
サッと火のついたジョイントがまわってくる。なんて気の利くいいやつなんだ。
それがナベさんだった。
ナベさんは、俺の麻道の師匠の一人だ。俺たちの誰よりもはやくタトゥーを入れたし、誰よりもはやく、ステレオタイプな人生からドロップアウトした。誰のクラスにも一人はいる必要悪みたいな人だ。別にヤンキーな訳ではなく、ただ何となく世の中の枠にハマらない人だ。
浅川に出会う前は、俺は基本的には埼玉に住むナベさんからネタを引いていた。5グラム 25,000円が、俺の毎月の麻代だった。
ナベさんは、彼女のミドリちゃんとケンカして、お互いに真剣に話しているとき、ちらっと時計を見てしまい、更に怒られるような隙だらけの人で、その隙のせいでひどい目に遭うのだが、その隙が好きで、俺はよく、くっついて歩いていた。
そんなナベさんが東京駅で職質にあい、大麻の所持で捕まったのが、3ヶ月くらい前。執行猶予をもらって出てきてすぐ連絡をもらった。押収された携帯に、俺と浅川の名前が頻繁に出てきて、刑事に詳しくきかれたそうだ。
お前のところにも警察が来るかもな
と、後ろめたそうに唸った。
三井といいます、と青年は名乗ってから、
彼が持っているカードを全部見せてくれた。
国選弁護人は俺より若い、爽やかな男だった。会って早々、ナベさんの事件が関係していること、浅川も逮捕されたことなど事実を伝え、状況を説明した。初対面にも関わらず、俺にはテキパキという擬音が空中に見えた。どうやら、俺が泣きつく袖などないようだ。
簡単な事実確認、このあと起訴されて、裁判まで1ヶ月くらいは勾留されることなどが説明された。
実際所持していなくとも、メールや録音でも充分立件できること。検察の持っている証拠はまだ開示されてないが、検察が勝てると判断したから逮捕されたのだと説明された。
すでに、三井弁護人は裁判のその先、執行猶予や刑期を見ていた。
浅川がどこまでしゃべっているか、それとなく警察に聞いてみるが、
あなたもなるべく正直に喋った方がいい。
と、覚悟を求めてきた。
完全に退路を絶たれた俺は、胃がキリキリと音を立てて痛み、頭をないまぜの感情がかけめぐり、最後は諦めだけが残った。
最後にこのことを連絡してほしい人をきかれた。伝えて欲しい人は、たくさんいたが、そらで言える番号なんてなかった。唯一言える番号は実家の番号だけだった。
三井弁護士は、俺を責めることやなじることもなく、事務的に物事を進めていった。彼にとっては慣れたもので、よくある事件のひとつなのだ。だが、そのときの俺にはその淡白さが有難かった。
深夜に、檻に戻されるとどっと疲れが出た。
皆、鼾をかいて眠っている。
両親や、バンドメンバー、会社の人たちの顔が浮かんでは消えていった。だが、今はその人たちの声は聞こえない。俺は檻に閉じ込められてはいたが、それらの怨嗟の声から同時にまもられてもいた。
考えなければならないことは山ほどあったが、気づいたら眠っていた。
翌朝起きて、朝の運動でタバコを2本吸ったあと、番号が呼ばれて、手錠がかけられる。
これから検察へ護送だからな、
と、1階で白髪混じりの刑事に言われた。
逮捕後48時間以内に送検される。
検察庁へ行く者達が一列に並ばされ、縄と錠でつながった。
護送車の中には他の警察署から運ばれた先客がいた。皆おしなべて黙っていた。
検察庁までの護送車の中から見る外の世界は、見慣れた東京の景色だったが、自由のきかない俺には、窓から見えるマクドナルドが月くらい遠くに感じた。
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