「不要不急」な存在について・〜ヌトミックのメルマガVOL。1を読んで

「不要不急」という言葉を毎日耳にする中で、そもそも私自身が要・急な存在であると言える自信が日々なくなっているし、これから先、無意識に「今すぐ役に立つか」「価値があるか」とかいった基準だけで物事や人を判断し続けてしまうのではないかと思い不安です。
(以上引用:ヌトミックのメルマガVOL.1、原田つむぎ『原田の、すぐには使わないものコレクション』より)

※Vol.1のアーカイブはこちら:https://note.com/nuthmique/n/n38966153f47e?magazine_key=ma6fcfe532baf
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2020年5月1日から、『ヌトミック』という劇団のメルマガが始まった。まだ初回配信しか読んでいないが、夢の話あり、音楽ネタあり、写真ありとボリューミーな内容に読みごたえがあるのはもちろんのこと、読んでからほぼ2週間が経過する今も何かに付け「ヌトミックのメルマガにあったあの言葉は、こういうことかな」と思いをめぐらす瞬間が多多ある。そういった深みもあるメルマガだ。

中でも面白かったのが『原田の、すぐには使わないものコレクション』というコーナー。『断捨離』とか『ミニマリスト』なる考え方がもはや当たり前のようになっている今『使わないもの』をわざわざピックアップするというコンセプトが興味深い。写真とそのもののエピソードが紹介されるコーナーで、私は写真は見えないけれどエピソードだけでも楽しい。『もの』の物質的価値を超えた『思い入れ』が詰まっているのだ。

それと、他人事ではないと感じさせたのがこのコーナーの冒頭に書かれた文章。

(引用)
<「不要不急」という言葉を毎日耳にする中で、そもそも私自身が要・急な存在であると言える自信が日々なくなっているし…(略)>

2月の末、都知事の外出自粛要請の会見の中で『不要不急』という言葉を初めて聞き、それがどんな用事を刺すのか今一分からなかったことを思い出す。芝居が中止になり、デパートが休業するのを知って「よく言われる『なくても生きていける』ってやつだ」と思った。

コロナ渦において、芸術、エンターテイメント、園芸等文化、それから性風俗に対して「所詮なくても生きていける」という言葉がこれでもかと浴びせられている。この言葉に触れる度に涙が出るほど苦しい。めちゃくちゃ自分勝手な基準なのに、万人に共通した見方のように扱われるのが悔しいし、簡単に分断したり存在をなきものにされることがむなしい。自分のアイデンティティは『芝居』と『視覚障害』だと思っている私は、生命維持に必要かどうかという基準でみたら全く存在価値のないものだ。でも、そんな理由で死にたくない。

逆に「なくては生きていけない」ものって何だろうと考えた。
一般的には衣食住、それから社会を支える学校や保育園等仕組み、ということになるだろうか。しかしもっと細かく考えた時。例えば食器はないと衛生的な食事を取ることができないので必要だが、そこに色や柄や絵が付いていることは生命維持に必要だろうか。食事を取れる機能さえ満たしていれば十分なのに、「なくても生きていける」ものをわざわざ付随させていると思う。インテリア雑貨類を冷静にみてみると「なくても生きていける」もの、あるいはそれらが付随しているものが山のようにあるし、お菓子は「なくても生きていける」し、洋服などは「なくても生きていける」デザインの塊みたいなものがある。これらすべてが「なくても生きていけるので、作るのをやめます」といったら大変な数の人が失業するんだろう。
世の中「なくても生きていける」もので溢れているのに、マイノリティなものに対してだけその基準を付きつけて、当然のように存在を否定するのは腹立たしい。

物も、そして人も「不要不急で良いじゃないの」という考えを忘れないでいさせてくれる。『原田の、すぐには使わないものコレクション』はそんなコーナーだと感じた。

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