木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』をみました
ディスコ風なミュージックが爆音で流れる中、古典調な言葉が呼応する。源平合戦、壇ノ浦で入水した安徳帝と祖母、二位尼が今死のうという会話である。いかにもあどけなく押さない子供に「波の下に都がある」と説く、むなしさで苦しくなる場面。この幕開きで、私は心をわしづかみにされた感じがした。
私は今回初めて『木ノ下歌舞伎』をみて、古典調のセリフと現代的なセリフのメリハリに驚いた。
歌舞伎の手法を使った古典場面は重々しく感じたり、淡々と感じたり、あるいはリズミカルに言葉を聞いている感じがして、どこか大きな世界でとらえて行くような印象がある。対して現代語は人物にフォーカスできる利点を感じた。本当にフランクというか近しく感じるし、感情がダイレクトに伝わってくる。大学生とか高校生ぐらいが使いそうな言葉でしゃべると、義経や知盛が一気に幼稚に感じるのも面白かった。
また、現代語を使うと、わざとらしいほど分かりやすく単的に説明するのがかえってコミカルに感じた。おかけで人物の関係性を把握でき、芝居において行かれずに観劇できた。
古典的にみせた場面を、現代語でリフレインする手法が印象的だった。幕開きの壇ノ浦の場面がそうだ。2度ほど古典で繰り返されるのだが、船宿の主人に身を変えていた知盛が再び義経に敗北する様を目の当たりにした、これも船宿の者に身を変えていた安徳帝と二位尼は、最後の繰り返しで初めて「覚悟覚悟って言って、どこにつれて行くの?」と素直な言葉で死を話すのである。それまでぼんやりと概要を把握していたセリフが腑に落ちる。役者の演技もすばらしく、その思いを十分に感じられる場面だった。
リフレイン的な観点でもう一つ印象的だったのは、『イマジン』が流れるところだ。
義経が壇ノ浦で勝利し行ったスピーチのような場面があり、そのBGMがジョン・レノンの『イマジン』のインストだった。何とも爽やかで、余裕があって、義経が調子に乗っている印象を受けた。正直こんなに軽い雰囲気のシーンに『イマジン』という意味深い曲を合わせて良いのか?と疑問に思っていた。
が、義経が再び知盛を打ったとき流れるのが、忌野清志郎が歌った『イマジン』なのだ。この歌詞が心にグサグサ刺さる。
義経はたくさんの人を殺して来た。知盛はたくさんの仲間を殺されて来た。しかし元を辿れば、平家が源氏を殺し迫害して来た。この因縁的な恨みを誰も許せるはずがない。知盛のセリフ「(生まれる前から)殺し…殺され…殺し…殺され…殺し…殺され…」心からの叫びだった。おそらく義経はそこで初めて、命、死の重みを実感するのではないか。その様子をずっと見ていた、まだまだ子供である安徳帝が、今日までで恨むのを辞め、平和を祈ろう、と二人を諭すのだ。知盛は「昨日の敵は今日の見方」と言葉を残し死んでしまう。
そして流れるのが『イマジン』。忌野の訳詞、
夢かもしれない
でもその夢を見てるのは
君ひとりじゃない
という歌詞に、義経と知盛と安徳帝と、ジョン・レノンと忌野と…時代も国も超えた、皆の願いが込められた音楽であり芝居だと感じた。
役者の早変わりの手法も上手く使っていると思った。
死んだと思われていた平家、天皇が身を変えている船宿。最初兼ね役なのかな、と思っていたら本当に知盛だった、というのは違和感がなく納得できた。
また、ふと思い返したとき、安徳帝役の立蔵葉子氏が演じていた役は、どれも弱く守られる立場にありながら血を見ることが多かったと気づく。その立蔵氏だからこそ、平和を願うセリフが生きると感じた。
生地的な役者という部分まで意味があるよう設計されている面白みがあるのは歌舞伎の魅力の一つである。
感動で涙と鼻水が止まらないほど心打たれる芝居だった。思わず読めないのに叢書を買ってしまった。
他の木ノ下歌舞伎を見るのも楽しみだ。
2021/03/08/14:00 シアタートラムにて観劇
義経千本桜―渡海屋・大物浦― 木ノ下歌舞伎 official website
https://kinoshita-kabuki.org/tokaiya2021
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