昭和と平成のゲームの集め方。その13

●幼少編 その1

さて、実は自分の父方の実家は東京です。そして父親の兄弟は5人居ます(叔父と叔母が合わせて5人)という事でちょっと前までは結構な大家族でした。(住んでる所はバラバラ)自分の年代にはよく有った家族構成だと思いますが、今は兄弟が居なかったり一人っ子が多かったりで少子化を肌で感じたりしております。

正月となると皆さん家族で集まるのが定石だった時代が有りましたが自分が中学校ぐらいまではそうでした。
祖母が”かんぽの宿”と言う郵便局の箱物施設があり、事前にはがきで申し込むと安価で使えるという宿泊施設でした。そこに父親の兄弟家族が皆集まるのがだいたいパターンになっておりました。
そしてその集まりは自分にとってはかなり嬉しい集まりでした。

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現在もある”かんぽの宿 青梅”当時と形がかなり変わっております。

同世代だとわかってもらえると思いますが
”家族が集まる”
ということは
”お年玉がたくさんもらえる”
ということでありました。その頃は小学生で小遣いを気にしながらゲームを楽しんでいた自分にとっては
”夢のボーナス日”で有りました!

まず、正月2日に青梅に有ったその施設(かんぽの宿)に車で集まります。そして挨拶もそこそこに雑煮とおしるこ、祖母や叔母たちの手作りおせちを食べながら和やかに過ごします。いとこたちもこういうときぐらいしか会えないので近況報告したり、花札で遊んだり。

そしてしばらくすると皆並んで集まって挨拶していよいよその時が来ます!
”お年玉”を貰ってお礼を言って後でゆっくり中身を見ます!
(父親から目の前で確認すると失礼だからと言われよく子どもたちだけで集まって見せ合いっこしたりしていました)

ひと家族3000円。そして祖父と祖母は5000円ずつくれることが多かったのでだいたい正月だけで2万円ほどの収入になることが多かったです。
大体大人達からは「大事に使え」と言われるのですが、自分はある目的のために”その日だけは”大事にとっておくのでした。

そして一泊その施設で過ごし、久しぶりに親戚たちと話し、遊び、楽しみました。そして、帰り。車に乗って帰るわけですが、自分だけは途中の電車の駅で降ろしてもらい、一人で昨日もらったお年玉を握りしめて電車である場所へ向かいました。そう、目的地は
”秋葉原”です…。

(幼少編・その1 続く…)


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