昭和と平成のゲームの集め方。その15
(幼少編 その3 ”ゲーム交換の始まり編”)
思い出したまま自由に書いてるので時代がアッチャコッチャになってしまい申し訳ありませんが記憶が断片的なので資料探したりして裏取りしたりしてるんですよこれでも…。
さて、ファミコン全盛期の頃は自分は小学生高学年から中学生。その頃は確かお小遣いが学年x100円だった記憶があるので本格的に小遣いをためてゲームを買うのは前回の様にボーナス的な事(お年玉)がなければ普通に買うのは何ヶ月もかかりました。
なので色々安い店を探したり友人との交換(これは後々借りパクや紛失という面倒な問題を抱えることになる)などでプレイするソフトを増やしていましたがある時雑誌で面白い広告を見つけました。
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雑誌”HACKER”誌より。自分が見たのは他の雑誌でした(雑誌名は失念)
これは”手持ちのソフトと新作ソフトを交換するよ!”と言う広告であり、当時手持ちのソフトを売却すると二束三文になってしまうので中々新作を買えない自分たちにとっては”物凄く良い情報”だと思ったのです(少なくとも当時は)
という事で手持ちのソフト(3本)をこちらに郵送し、やっと手に入れたディスクシステム用ソフト”悪魔城ドラキュラ”。こちらは本当に苦労したのと純粋に内容が面白く、友人たちを集めて喧々諤々しながらプレイしたものです(当時はディスクシステムが無かったので友人宅へプレイしに行っていた)
その後何度か利用したのですが、基本的に”元手が居る”のと時間が経つにつれ”レートが下がった”(交換に必要な本数が増えた)ので全部で3回ほど利用してそのまま自然に利用しなくなりました。
調べてみるとこの手の業者はかなりの数があり、HACKER誌だけで10業者ほどの広告が有りました。多分中古販売業者だったと思うんですが当時働いていた方の話とか聞きたいですね。
(幼少編・その3 ”ゲーム交換の始まり編”終わり)
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