おぎやはぎ矢作はアンジャッシュらを差し置いて、なぜ人力舎を「矢作色」に変えることができたのか?
極楽とんぼ・加藤浩次が若手時代、中目黒のバーでアルバイトをしていたのは有名な話だが、ある日そのバイト仲間から「実は浩次さ、俺の後輩でお笑いやりたいって奴がいるんだけど、呼んでいい?」と言われる。
そこで紹介されたのが、おぎやはぎの矢作兼だった。そこから矢作は加藤と遊ぶようになり、芸人とは言っても大きく自分たちと違う存在ではない、と思うようになったという。当時の加藤の印象について、矢作は次のように語っている(*1)。
「加藤さんは面白かったの。俺のイメージでは、面白いんだけど、ノリというリズムがね。こういうことを言った時に、こういうことを返してくるんだってことが、俺達とは違う世界の感じなんだなってことよりは、どっちかっていうと俺とか小木とかの感じとのノリに近かったのよ」
加藤とのこの出会いがきっかけで、矢作は芸人を身近に感じるようになり、次第に本気で目指すようになっていく。だが、加藤との出会いを引き寄せる人脈、加藤に気に入られる人間性がなかったらやはり別の結果になっていただろう。
人力舎に所属した理由
ところが、芸人の世界は甘くはなく、芸能事務所でネタ見せを行うが、ホリプロを始めとして「酷評」されてしまう。
そこで加藤が提案したのは、「人力舎」へネタ見せに行くことだった。当時の経緯について、加藤は次のように語っている。
「吉本は絶対に辞めた方が良いって言ったんです。はっきり言ったもんな。『東京の人間だったら、絶対に東京の事務所行け』って。それで、『僕らホリプロにネタ見せ行って来ますわ』って言って」
「それでホリプロのネタ見せに行ったら『ボロカスに言われましたわぁ、浩次くん』って言うから、『じゃあ、人力舎のネタ見せ行ってみ』って言って。人力舎に行ったら、べた褒めされたらしいんですよ(笑)同じネタやって。そしたら人力舎が好きになってな」
「東京の芸能事務所」ということで加藤は事務所を提案していたが、なぜその中に人力舎があったのか。それは、『とぶくすり』で光浦靖子と共演していたことが要因だったようだ。「(他の事務所のネタ見せで酷評されても)人力舎行ったら分かんないから。光浦とかもいるから」と加藤は勧めたのだという。
結果、おぎやはぎは人力舎に所属することになる。そこで養成所JCAにも所属していない、「ポッと出」の矢作が人力舎の芸人の中でなぜか中心的な人物となっていくのだった。
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