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有吉弘行、師匠であるオール巨人との関係「弟子入り・破門・そして感謝」

有吉弘行と言えば、1996年の『進め!電波少年』でのヒッチハイク旅での大ブレイク、その後のコンビ「猿岩石」解散、10年近くの低迷期を経験している。こうした紆余曲折を経て再ブレイクを果たした現在、第74回NHK紅白歌合戦の司会を務めるにまで至った。

その有吉のデビューのきっかけは、読売テレビの番組『EXテレビ』の企画「公開弟子審査会」でオール巨人に弟子入りである。1992年の12月に番組企画でのオーディションがあり、翌年に高校を卒業してオール巨人の弟子となった。

ところがそこから1年足らずで、同じく番組で合格した堀之内裕史と口論から喧嘩になり、有吉が堀之内の前歯を折ったことで謹慎を言い渡される。有吉の弟子入り生活は8ヶ月で終了する。なお、正確にはそこで破門ではなく、この時は「謹慎」である。破門を言い渡されたのは2009年に入ってからであり、再会したオール巨人に「晴れて、破門された」のだという(*1)。

今回、こうした有吉のオール巨人の下、弟子時代のエピソードについて触れてみたいと思う。

オール巨人師匠に弟子入りした理由

そもそもなぜオール巨人に弟子入りしたかと言うと、芸人になる足がかりであったためである。有吉は幼い頃から芸人を目指しており、「俺はね、小学校からお笑いをやりたかったのよ。4年生くらいのときから」と語っている(*1)。

中学から芸人になろうと考えていたが、母親に「せめて高校卒業だけは」と言われ、高校卒業まで待つことになる。そもそも「もともと広島だから、吉本の文化圏だから。とにかく、吉本しか頭にない」という状態であり、高校卒業後はNSCに入学を考えていたのだという。

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