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麒麟・川島、相方・田村とのコンビ間格差を「大逆転」するまでの軌跡

2023年10月29日放送のカンテレの番組『マルコポロリ!』にて田村裕が出演し、相方・川島明と「30倍の収入格差」があるという話題に触れていた。

田村は年収1200万円、川島は年収3億円と推計され、その差30倍近くになるという計算であるという。これほどまでの格差がある現在ではあるが、それ以前は大きく田村が水をあける時期もあった。いわゆる『ホームレス中学生』バブルの時期である。

そんな川島と田村のコンビ間格差の歴史について、今回の記事では触れてみたいと思う。

麒麟としてのブレイク

まずはコンビ「麒麟」としての知名度を大きく上げたのは、M-1グランプリ第一回の2005年、まったくの無名にも関わらず決勝進出を果たした時期である。

決勝でのキャッチフレーズは「無印(ノーマーク)」であり、以後、全国的な知名度のない若手コンビが決勝へ進出することを「麒麟枠」などと呼ぶことにもなっている。

こうしたM-1グランプリでの活躍もあり、「東京もちょっとずつお邪魔して、さぁいよいよ2007~8年にかけて、東京に行きまして」と麒麟としてステップアップをすることになる。

大阪のレギュラー番組も全て降板し、「東京で勝負をかける年」となった最中、計画を大きく狂わす事件が起きる。川島は「ここでコンビ二人三脚で行きましょうって言ってたら、『ホームレス中学生』って本を書きやがって」と語り、田村一人が脚光を浴びることにより大きくコンビとしての歩調が乱れることになったのだと明かしていた。

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