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ザ・パンチ、THE SECOND 2024で準優勝を果たすまでの「M-1グランプリ2008惨敗」からの16年間

M-1グランプリ2008決勝、6番手で登場したザ・パンチは「ラストイヤー」で初となる決勝を果たす。パンチ浜崎の「はい チャース!チャッチャチャース!」というつかみで笑いをとることに成功するが、緊張や焦りで次第に「間」が短くなり、リズムやテンポを崩してしまう。

漫才が終わると、今田耕司は「緊張してましたね」と感想を言い、インタビュー途中では「もうドキドキしてたわ、パンチ見てたら」と発言している。

今田のインタビューにノーパンチ松尾は「僕、緊張してなかったんですよ。今日、いつも通り楽しめると思ったら、彼の緊張を見て一気にパサパサになりました」と発言していた。

得点が発表され、終わってみれば他のコンビが600点台である中、「唯一の500点台、591点」で最下位に沈み、暫定ボックスにすら座ることはできなかった。

松本人志も「いや 普段は面白いんやろなって思うんですけどね。本当もうしょうがないですね」とフォローに回り、さらには今田耕司もまた「この漫才のやっぱ間、とか。やっぱ焦ってるスピード感とか微妙なとこなんすよね」と慰めていた。

このコメントをザ・パンチの二人は伏し目がちで聞き、すぐに退場させられていた。ザ・パンチにとって最初で最後のM-1決勝の舞台は、まさしく惨敗の記憶として残ることになる。

M-1決勝の魔物

その16年後となる2024年5月13日のニッポン放送系のラジオ番組『ナイツ ザ・ラジオショー』の中で、ノーパンチ松尾は次のように当時の心境を語っている。

「ようやくM-1で。願いがようやく叶って出れたら、思い強すぎて緊張して噛むっていう…テンポがおかしくなったのもそうだし、出た瞬間に…出る寸前までは、ウチのエースの浜崎さん、ご機嫌だったんですよ。で、喜びながら出て、隣見たらもう全部黒目で。ガッチガチ。ダメだぁ~って(笑)時空歪んで、顔が斜めになるみたいな(笑)」

「二人とも、ぐにゃぐにゃで(笑)目の前真っ白で。本当に俺のわずかな記憶なんだけど、本当にああダメだ、ダメだと思って、目の前真っ白になったんだけど。観覧のゲストで、サッカーの日本代表の中澤裕二さん。で、そこだけ真っ黒。それ以外真っ白。サッカー好きだから(笑)」

「『ああ、いる!中澤さんがいる!』って(笑)あの黒がなかったら、俺たちあの場で死んでるから」

極度の緊張の中、意識朦朧となりながらも4分間漫才をやり続けた。しかし、その結果は厳しい現実となって突きつけられることになった。

さらに、当時も話題となった「死んで~」というツッコミに向けられた観覧客の反応も調子を崩した一要因であると語っていた。

「クレームがきたから、そのことは言わなくなったけど、ライブとかM-1の予選では言ってたの。そしたら、『あれ言わない方がいいです』って言ったら、M-1のスタッフさんが『いや、言っていいんだ。君らこれで盛り上げてきたじゃないか』って。『うわぁ、ありがとうございます』って。で、決勝言ったの。言ったら生放送で、『うわ、こいつら言った…』みたいな顔をお客さんにされて。で、真っ白(笑)」

初の決勝進出コンビは、極度の緊張で頭が真っ白になって実力を発揮できなくなるというのはよく聞く話であるが、まさしくザ・パンチもまた、M-1決勝の魔物に食われた一組だろう。

旧M-1の審査員

2000年から2010年までのM-1を「旧M-1」などと呼ぶこともあるが、旧M-1の初期ではとにかく「審査員が厳しい」ことでも有名である。

そのことについて、当時出場していたナイツ・塙宣之も次のように語っている。

「今見ると、審査員ごっついんですよ。カウス師匠、リーダー、紳助さん、大竹まことさん、松本さん、上沼さん。そりゃあ緊張しますわ」

この発言を受けて、緊張でガチガチになってしまったというパンチ浜崎は、「あそこがなんか、最高裁判所みたいに見えましたね。裁かれてる感じ。旧M-1ってそういうのありましたよね」と語っている。

ザ・パンチ、M-1惨敗からの16年間

M-1決勝で思うような結果を残せなかったザ・パンチは、それからどのようにして16年という日々を過ごしていたのか。そのことについて、ノーパンチ松尾は次のように語っている。

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