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アムステルダムで起こった「うなぎ暴動」とは?

2024年7月:記事の最後にお知らせを追加しました。

いつも当チャンネルをご視聴いただきありがとうございます。
例のごとく今週の動画が間に合いそうにないので、この記事を書いています。

こちらのnoteは、動画の更新が間に合わない時に、動画の代わりとして投稿していおります。

ただ今後は、YouTubeの動画で扱うには過激すぎたり、
(過激すぎる内容はYouTubeの規約的に避けなければなりません)

様々な事情によって動画化が困難なテーマなどは、こっちでドンドン投稿していこうかなと考えている次第です。
ただネタ帳を分厚くしていくだけなのも何だか勿体ないので。

もちろん、YouTubeの動画にしないからと言って手を抜くつもりはありません。魂を込めた文章でお届けします。


それでは、
以下、楽しんでいただけると嬉しいです。



1886年、オランダのアムステルダムで暴動が起こりました。
この暴動は、時間にすればたった1日程度で収まりましたが、

結果的に負傷者は100名以上死者は26人
逮捕者は数えきれないほど大量に出ました。

そしてその原因となったのは、、、

1匹のうなぎでした。



〇アムステルダムの伝統「うなぎ引き」

アムステルダムには、
「うなぎ引き」という伝統的な慣習がありました。

「うなぎ引き」とは、アムステルダムで古くから、特に貧しい労働者階級の人たちの間で行われていたブラッド・スポーツの一種です。

ブラッド・スポーツというのは「暴力や流血を伴うスポーツ」のことで、動物同士あるいは 人間対動物で戦わせるスポーツを意味します。
うなぎ引き以外にも、例えばスポーツ・ハンティングや闘牛といったものもブラッド・スポーツに分類されます。


さて、そんなブラッド・スポーツの一種である「うなぎ引き」

これはまず、運河の岸から反対側の岸まで渡るようにロープを張って、
そのロープの中央付近に生きた状態のうなぎを吊るします。

そしてうなぎ引きの参加者は小舟に乗ってそのロープの下を通り、
吊るされたうなぎを掴み取ろうとします。
その結果、見事うなぎを掴み取ることができたものが勝者!
これがうなぎ引きのルールでした。
シンプルで良いですね。

このスポーツはやがてアムステルダムで毎年開催されるようになり、
特定の祝日や祭りの日に行われるようになりました。
うなぎ引きが開催されると多くの見物客が集まり、
滑ってなかなか掴めないうなぎに苦戦する挑戦者達の様子を見て楽しんでいたそうです。

ちなみに、ヨーロッパ圏においてうなぎは時々、縁起物として食べられることがあります。
これはうなぎを旧約聖書に登場する蛇に例えて、
うなぎを食べることで「悪いものをやっつける」という意味合いがあるためです。

そしてこのうなぎ引きも同様に、悪いものを倒すと言った意味合いがあるのかと思って色々と調べてみたのですが、
そのようなことを言っている記事や書籍は1つも見つからなかったので、

ただ単に、

「ちょwwwうなぎヌルヌルすぎだろwww」
「これ使ってゲームしたらぜってぇおもろくなるべwww」

そんなノリでうなぎ引きは成立したと考える方が良さそうです。

ともあれ、うなぎ引きはアムステルダムの人々にとって非常になじみのある土着の民族風習となっていたわけです。

ただ、現代ではブラッド・スポーツは動物虐待として世界的に批判を浴びており、多くの国や地域で廃止される動きが高まっています。
そしてブラッド・スポーツを動物虐待として避難する動きは当時のアムステルダムにも存在していました。

政府はこのうなぎ引きを非人道的であるとみなし、
「残酷な大衆娯楽」であるとして禁止したのです。

しかしながらアムステルダムのうなぎ引きは特に人気があるイベントで、
住民たちは娯楽を続ける権利を主張し続けました。
そして非合法化された後も、人々は禁止令を無視してうなぎ引きを続けていました。


〇1886年7月某日、リンデンフラハト

そんなこんなで、うなぎ引きが禁止された後の時代、
1886年の7月のことです。

アムステルダムのリンデンフラハトにて、うなぎ引きが開催されました。
もちろんこの時代にはうなぎ引きは禁止されていたので、
この年のうなぎ引きにも禁止命令が出されていました。

しかし祭りの主催者はこの命令を無視し、大勢の観衆が見守る中、うなぎ引きを開催しました。

祭りはいつも通り大盛り上がりです。
うなぎを掴むのに失敗して川に落ちる参加者を見て、観客たちは大いに盛り上がっていました。

そこに、一人の真面目な警察官がやってきて、
うなぎ引きが命令に反して行われていることを知ります。

すると彼は、うなぎをつないでいたロープを無理やり切ってしまったのです。

当然、せっかく盛り上がっていたところを台無しにされた観客たちは怒り心頭。
怒りの勢いそのままに、観客の1人がその警官を傘で殴りました。

カーン!

これが戦いのゴングとなり、やがて本格的な暴動に発展することになったのです。

こうして始まった暴動はその日の夕方に一旦鎮圧されたかに見えましたが、
翌日には再び 民衆が暴動を起こし、その勢いは祭り当日よりも大きくなっていました。
住民たちは道路の敷石を剥がしてバリケードを作ったり、屋根から石や花瓶を投げつけるなど警察と徹底的に戦う姿勢を見せていました。

そしてこの激しい抵抗により警察側は実弾の使用を許可され、
かなり強力な武力を持って制圧しなければならなくなったのです。

実弾を使われると、何も持たない民衆には抵抗の手段はありませんでした。
暴動は結局1日程度で鎮圧され、それ以上暴動が続くことはありませんでした。
しかし、その結果出た被害者は、

負傷者が100人、
死者が26人、
そしてうなぎが1匹と、決して少なくないものでした。

その後、当初はこの暴動は社会主義者が起こした陰謀だと見る人もいましたが、
結果的にこれはあくまで自然発生的に起こったもので、
誰かによって仕組まれたものではないと検察が結論付け、事態は収束しました。


〇なぜ暴動は起こってしまったのか?

さて、こうして終結したアムステルダムのうなぎ暴動ですが、
考えてみると少し不思議なところがあります。

それはこの暴動が起こったきっかけが、
「お祭りを中止された」ことだったという点です。

現代の感覚からしてみると、
お祭りを中止にされただけで死者が26人も出るほどの大きな暴動を起こすというのは、
さすがにやりすぎなような気がします。

しかし調べてみると、
祭りの中止が大きな暴動にまで発展するに至った背景には、
当時のオランダの社会状況が関係していました。

19世紀中頃から後半にかけてのオランダは、産業革命が本格化した時代でした。
そして当チャンネルを見てくださっているあなたならもうご存知のことかと思いますが、
産業革命は、社会の仕組みをとてつもなく大きく変化させます。

それまで人間が手作業でやってきたことを全て機械で行うようになり、製造業を中心に生産性が大きく向上し、人々の生活は豊かになったのです。

しかし一方で、

産業革命は多くの人々の仕事を奪い、大量の失業者を出すことにもつながりました。

また都市に住む人々の立場は、

「工場を持つ人間」と「工場でコマのように使われる人間」
「 持つもの」と「持たざるもの」にはっきりと分かれるようになり、

 社会的な格差が深刻化しました。

これによって生まれた民衆の不満から、労働運動や社会主義運動が活発化するようになります。
先ほど、うなぎ暴動の原因が社会主義者の陰謀だったのではないかと疑われたという話をしましたが、
それはこのような深刻な社会的格差によって社会主義運動が活発化していたために出てきた疑いだったわけです。


そしてうなぎ暴動が起きたアムステルダムでも、失業率の増加と社会的な格差は大きな問題になっていました。
しかしながら、オランダ当局はこうした国民の大部分が抱える不安や憤りを十分に汲み取ることはできておらず、人々の不満は大きくなる一方でした。

そのような社会において、うなぎ引きのようなブラッド・スポーツは、

一種の不満のハケ口としての役割を果たしていたわけです。

つまり、その鬱屈した日々から解放されるための唯一と言っていい手段を奪われたがために、人々は暴動を起こしたと言えます。

実際、うなぎ暴動の10年ほど前、
1876年にも似たようなことが原因で暴動が起きています。

当時のアムステルダムでは、毎年9月に「カーミス」というカーニバルが開催されていました。
しかし1876年にアムステルダムの当時の市長がこのカーニバルを禁止すると発表。
それに怒った人々が暴動を起こしたのです。
この暴動はうなぎ暴動よりも長い4日間も続き、警察と軍隊が投入されて初めて鎮圧されました。

このように、当時の人々の不満を発散する機会を奪うことが原因となって暴動が起こることは決して珍しいことではなかったのです。

ただし、1876年に起きた暴動と1886年に起きたうなぎ暴動とでは、
その被害者の数がまるで違います。

1876年に起きた暴動の負傷者は数十人で、死者はわずか1名と報告されています。

それに対して、

うなぎ暴動の死者は26名と、全く異なる規模の被害が出ているわけです。

これらの暴動は、一体何が違ったというのでしょうか?
なぜ、うなぎ暴動を起こした人々は、ここまで激しく抵抗したのでしょうか?
一体何が、人々をそこまで凶暴にしたのでしょうか?

とはいえ、人が強く執着するものはそこまで多くありません。

その中の1つが、、、

お金です。

実は、うなぎ引きには賞金が出ていました。

その賞金は6ギルとされており、これは当時の丸々1週間分の賃金に相当する額でした。
そしてこの当時は、貧富の格差が非常に深刻化しており、
アムステルダムのうなぎ引きが開催された地区には、貧困層が数多く暮らしていました。

そんな彼らにとって、6ギルというのはとんでもなく大きなお金です。
彼らは血眼になって賞金を求めて、うなぎに手を伸ばしていました。

そんな中、彼らの希望を打ち砕くかのように、うなぎをつないでいたロープが切られてしまったわけです。
彼らにとっては自分の金を取られてしまったに等しく、
その結果、26名もの死者を出す大暴動へと発展してしまったわけです。

なるほど。
金の恨みは怖いということですね。
肝に銘じておきましょう。

ちなみにこの暴動後、19世紀末には労働者の間でさらに不満が高まり、最終的には労働組合の設立につながりました。
さらにちなみにですが、現在オランダではうなぎが絶滅危惧種となっているためスーパーで販売されることはなく、食卓に並ぶことは大変 珍しいことになっているそうです。 


〇お知らせ

以上で、本記事の内容は終了です。
楽しんでいただけたでしょうか。
楽しんでいただけたなら嬉しいです。

さて今後、こちらのnoteでは、動画にできないテーマに加えて
YouTube運営の裏話的なこともしていこうかなと考えております。

私がYouTubeを始めてからというもの、お酒を飲みながら1番思うことは、
「自分が面白いと思うことをみんなに共有できて、その上さらにそこそこ額のお金がもらえるって、すごい時代だな」です。

今では、「好きなことがあるならYouTubeやるべき」
なんなら「全人類YouTubeやるべき」というやや過激な思想を抱き始めています。
それぐらいYouTubeは面白し、魅力ある取り組みです。

なので、うちのチャンネルを見てくださっている方の中にYouTubeに興味ある方がいるのであれば、何としてでもこちら側に引き込みたいと考えています。

ただいきなり「YouTubeを始めよう」と言っても大変なので、
自分が10万人のチャンネルを作るためにやってきたことを思い返しながら、サポートとなる記事を作ろうかなと考えている次第です。

〇2024年7月追記:こちらの記事、公開しました!


興味のある方は、このアカウントをフォローしておいていただけると幸いです。
多分YouTube関連のnoteを投稿しても、YouTubeではお知らせしないと思います。
(YouTubeの運営に興味ない人もいらっしゃるはずなので)


それでは、今回のnoteは以上です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
動画、頑張って作りますね。

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