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新科目「歴史総合」をよむ 0-2.歴史の特質と資料

0-2. 歴史の特質と資料

 日本や世界の様々な地域の人々の歴史的な営みの痕跡や記録である遺物,文書,図像などの資料を活用し,課題を追究したり解決したりする活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア 次のような知識を身に付けること。
(ア)資料に基づいて歴史が叙述されていることを理解すること。

イ 次のような思考力,判断力,表現力等を身に付けること。
(ア)複数の資料の関係や異同に着目して,資料から読み取った情報の意味や意義,特色などを考察し,表現すること。

過去の出来事をとらえるには?

 昨年の今頃、あなたは何をしていただろうか?
 それを調べるために、どんなことをするだろうか?
 記憶をたどって、その頃流行っていた動画や出来事を思い出すことで、記憶をたどることもできるだろう。また、もしあなたがSNSを利用していて、その頃に何かを記録していたならば、それを手がかりにすることもできるかもしれない。
 しかし、1年も経てば、たいていのことは忘れてしまうものだ。
 辛かったことがあっても美化されたり、風化してしまったりしてしまう。
 当時関わりのあった人に聞いてみるのも手だろう。

 しかし、もっと昔の出来事の場合はどうだろうか?
 数年前ならともかく、100年前のことを見聞きし、知っている人は、そもそもご存命ではないことのほうが多い。
 時間がたてばたつほど、過去の出来事をとらえることは、難しくなる。

 たとえば、2020年以降、世界は新型コロナウイルスの大流行に見舞われた。
 コンビニにビニルカーテンが設置されたのを初めて見た時の記憶は、同時代を生きるわれわれでさえも薄れている。では100年後の人々は、今回の出来事をどのように記述することができるだろうか?

 たとえば、流行の初期である2020年1〜4月の社会の状況を叙述する方法を考えてみよう。当時の店舗に貼られたポスターや、政府による広報、インターネットのSNS上の書き込みも、当時の状況を知る手がかりになるかもしれない。


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検索ワードの出現回数も手がかりになるのかもしれない
(「social distance」の人気度(Google Trend) )

 不正確な情報や、意図的に間違った情報が発信されていたこともあるだろう。なかには、発出された公文書のすべてがアーカイブされ、公開されていない可能性もある。
 100年後の歴史学者が、そういった情報を集める際、膨大な資料を収集するだけでは、歴史を叙述することは難しい。さまざまな資料を比較検討し、全体像を復元する必要が出てくるはずだ。


歴史は、資料に基づいて叙述される

 一般に、過去の出来事を再現し、それを書き記したものを歴史という。

 歴史は、資料に基づいて描かれる。

 資料(あるいは史料)は、基本的には、書き記されたものである。

 書簡(手紙)や日記のような個人的なものから、新聞記事や出版物のように公開されることが前提となるものもある。公文書のなかには、当時は一般の人々には公開されなかったものもある。

◆資料の種類
(1)文字資料
 ・石碑
 ・書物
 ・公文書
 ・書簡
 ・落書など
(2)非文字資料
 ・図像
 ・遺物
 ・音声
 ・映像など

 (2)の非文字資料を読み解く際にも、(1)の文字資料と組み合わせていくことが重要だ。
 たとえば、ある絵について、描いた人物の立場や描き方、描かれている人やものの特徴に注目するとともに、その絵が描こうとした出来事に関する文字資料を、あわせて分析するのである。


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 歴史教科書の内容は、歴史研究の成果に基づいている。

 歴史研究は、歴史学者による学問共同体アカデミアで相互に承認された学説に基づき、日々更新されていく。
 新しい資料が発見されたり、新たな資料の読み方が判明されたりするのにしたがい、歴史研究の成果が更新され、歴史教科書の一文一文に反映されていくということだ。


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資料は「批判」する必要がある


 文章には、当然のことながら書き手の主観が入る。その人の立場によっては、資料に事実をは異なる手が加えられたりすることもある。
 また、その場に居合わせた人により、直後あるいはその日のうちに記されたものもあれば、歳月が経過した後に、記憶をたどり回想した書き物もあるだろう。

 歴史の根拠としてとくに重視されるのは一次資料である。
 一次資料というのは、当事者が、その時期につくった資料(文書、図像、遺物など)のことである。

 誰を「当事者」とみなすかは、歴史学者の設定した問いや、課題の対象によっても変化する。
 一つ一つの出来事について、必ずしも直接的に出来事に関与する「当事者」が、直接資料を残しているとは限らないからである。
 

 だからこそ歴史家は、そうした資料の内容を精査し、書き手の状況や動機を検証したり、複数の資料を対照することで、過去の出来事に迫る必要がある。
 この作業を資料批判という。
 批判とは要するに、その正当性を吟味ぎんみするということだ。

 しかし、歴史家による事実の解釈は、一つに定まるとは限らない。
 一つの資料から、異なる解釈が生まれることもある。
 一般に、複数の資料をつきあわせることで、資料の読み方は限定されていく。したがって、歴史学者の関心は、新しい資料を手に入れ、読み解いていくことに向かう。
 

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 このように、歴史学者は資料を通じて、過去の事実を明らかにしていく。しかしそれは、現在のわれわれの視点に立って、過去の人々の行いを裁くようなものではない。
 われわれがまだ2100年の世界を知らないように、1900年を生きる人々もまた、1900年までの世界しか知りえない。歴史的な事象を理解するには、同時代の状況を相対的に把握しつつ、人々がどのようなことを思い描いていたのか、エンパシー(共感)を働かせる必要がある。


 かつて、歴史学者で外交官であったのE.H.カーは、次のように記した。

「歴史とは何か」に対する私の最初のお答を申し上げることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。
(出典:E. H. カー『歴史とは何か』岩波新書、1962年、40頁。なお、太字部分を原文に忠実に訳せば「彼の事実」(his facts)とすべきことが遅塚忠躬氏によって指摘されている(同『史学概論』東京大学出版会、2010年、182頁)

 「現在とかこの間の尽きることを知らぬ対話」。この部分は、しばしば引用される箇所である。
 このあと1-1.近代化への問いでも述べるように、「歴史総合」は、現代世界がどのように形成されているのかに焦点を当て、過去の世界から、何かを学びとろうとしていく科目である。つまり、従来のように「資料を参照せずに、教科書に書かれていることをそのまま覚えるだけ」の歴史からの脱却を目指しているわけだ。 


 さて、今回は、「歴史」がどのようにつくられ、「資料」をどのように読み解いていくべきか、簡単にまとめていった。
 「歴史」が、「過去」のすべての出来事を示すものではないこと、「歴史資料」の多くが後世に残されずに失われていく一方で、年月を耐え抜いた「歴史資料」をもとにして、「歴史」がつくられていくこと。これらをおさえた上で、次に進んでいきたい。


(注)過去の手がかりとなるものは、必ずしも「書き記された」資料であるとは限らない。写真や絵画なども立派な資料であるし、多くの人々に共有された「記憶」にも、過去の出来事をたどる手がかりが隠されているかもしれない。

 なお、20世紀後半には、まったく「書き記される」ことのない、人々の内面や思い、日常生活などに迫ろうとする手法も試みられるようになっていった。また、歴史の研究は、ほかの学問のアプローチとも、しばしば併用される。たとえば過去の人々の用いた遺物や遺構などをもとに、過去の人々の生活を復元しようとする考古学や、氷床コアや年輪などにより過去の気候を復元しようとする古気候学が挙げられる。

 


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊