【図解】ゼロからはじめる世界史のまとめ ⑨前200年~紀元前後の世界
国が巨大化したのはなぜ?
―この時代には、ユーラシア大陸の「定住エリア」(地図中の「あ」から「う」)と、「遊牧エリア」(「ア」~「ウ」)で、国が巨大化していくよ。
「国が巨大化する」ってどういうことですか?―「国」って言葉、イメージしづらいよね。
ある範囲にある物や土地をコントロールし、言うことを聞かせることができる人のことを「支配者」といって、ここまですでに世界のいろんなところに現れているよね。そういう人たちはせっかく自分の手にした支配が「長持ち」するように、いろんなシステムをつくっていく。
その「支配者」が死んでしまったら支配が終わってしまうようじゃ、跡継ぎ候補の人はイヤですもんね。
―だから、たとえ今の支配者がいなくなっても支配のシステムだけは残るようにしていったんだ。
国が大きくなったからといって、初めからうまくいくとは限らないってことですね。
―そうそう。
勘違いしがちだけど、「大きい」イコール「良い」ではない。
大きくなればなるほど、「大変」なわけだ。
この時期にはあちこちに大きな国ができるけど、この時代の支配者は国を豊かにするにはできるだけ広い土地をゲットすることだと考えていた。
うまみのある土地は周辺の国どうしの取り合いになる。
どんなところが「うまみのある土地」ですか?
―たとえばユーラシア大陸の内陸にある砂漠地帯だね。
貿易は陸のルートだけですか?
―この時代には海のルートも開拓されるよ。
ユーラシア大陸の南の方では季節によって風向きが変わるんだけれど、これを航海に応用すれば、船を漕ぐ必要がないことが発見されたんだ。
この季節風を利用した交易の通り道になったのが、南アジアや東南アジアだ。
このへんには中国やインドからビジネスマンがひっきりなしに訪れるようになって、その輸出入品をコントロールした支配者が、主要な港町に現れた。港町をいくつも支配して国に発展するケースも出てくるよ(注:港市国家という)。
国っていうのは、ビジネスによっても誕生するものなんですね。
―そう、農業のためだけに建国されるわけじゃないんだ。
◆前200年~紀元前後のアメリカ
―北アメリカでは、高度ごとの経済基盤をコントロール下におさめた王様が、神殿の「ふしぎな力」を利用しながら勢力を強めている。
今のメキシコ南部からグアテマラにかけての地域に同じような特徴を備えた文化が栄えている(注:マヤ文明)。
同じような特徴って?
―3種類のカレンダー、ゴムボールをつかった球技場、象形文字、リュウゼツランという植物からつくられる酒(注:プルケ)、階段状のピラミッド、トウモロコシのパン、いけにえの儀式、弓矢がないこと、リャマやアルパカがいないこと、ジャガイモがないことなどなど。南アメリカの文明と違うところがあるポイントも少なくない。
南アメリカでは海岸近くに強力な力を持った王様がいたようだ。農業や漁業によって成り立っていたことがわかっている(注:「か」はモチェ文化、「き」はナスカ文化)。
◆前200年~紀元前後のオセアニア
―オセアニアでは人々の移住の波はいったん落ち着いている。下の地図の「5」のエリアに、ポリネシア文化を共有する人たちが広がっている。
オーストラリアは相変わらず外の世界との接触がないね。
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◆前200年~紀元前後の中央ユーラシア
―ユーラシア大陸の乾燥草原エリアをコントロール下におさめているのは、気候(注:ステップ気候。下図の着色部分)にもっとも適応した生活を送ることに成功していた遊牧民たちだ。
カザフスタンのステップ気候(乾燥草原エリア)(ロシア旅行社通信より)
ユーラシア大陸東方では「匈奴」という複数の遊牧民たちの大連合の活動がさかんだ。
中国の定住民の国と、砂漠地帯のオアシスの国々の支配をめぐって争っている。
「匈奴」の支配をきらった遊牧民グループの中には、インドの北方に移動した者たちもいる(注:月氏→大月氏)。
現在のウズベキスタン(near modern Denov, Uzbekistan)で出土した月氏の男性とみられる胸像。"Greek Art in Central Asia, Afghanistan, and Northwest India", Encyclopaedia Iranica, plate VIIIより
イランの人っぽいですね。
―そうだね。ユーラシア大陸中央部には「イラン系」(イラン系の言葉を話す人々)の遊牧民がひろがっていたんだよ。
◆前200年~紀元前後のアジア
◇日本
この時代の日本は弥生時代ですよね。
―そうだね。稲作が広まると、お米は保存がきくから貧富の差ができる。各地に支配者が現れ戦争も起きているよ。
最先端の技術はユーラシア大陸からやってきた。
だから当時の流行発信地は九州だ。青銅器や鉄器の作り方を知っているに朝鮮の人々を通して、中国の情報を知った支配者たちは、「中国の皇帝」を味方に付けることで自分の支配に箔(はく)をつけようとしたんだ。
中国という「ブランド」に頼ろうとしたんですね。
―「青銅器もらっちゃった!」って自慢して、一枚上手(うわて)に立とうとしたわけだ。そんなわけで当時の日本はたくさんの支配者がひしめく状態だったから、統一したひとつの国があったわけではないよ。
中国、日本、朝鮮にかこまれた海(注:東シナ海)、ベトナム周辺の海(注:南シナ海)では、このころからすでに船に乗って行ったり来たりする人たちがいたようだ。
◇中国
中国では秦という国が短期間で滅んでしまっていましたね。
―皇帝が厳しい支配をしたばっかりに、それに対する反乱が起きてしまったんだよね。
倒された皇帝が帰依していた仙人(注:徐福(じょふく)という道教の修行僧)が、「不老長寿の薬」を求めて日本に渡来したとの言い伝えが、日本各地にのこされている。あのナマハゲももともと徐福のことだったんじゃないかという説すらある(図は日本徐福協会ウェブサイトより)。
その反省を生かした次の国の「皇帝」は、すぐさま改善策を考えた。
「なにがなんでもすべての領土を直接支配するのは厳しすぎる。直接支配するところと、一族や家来に土地を与えて治めさせるところを併用したほうが現実的だろう」と。
つまり大昔の周と、滅んだばかりの秦の支配システムのハイブリッドだ。
うまくいったんですか?
―いや…結局反乱は起きたよ。でもこれを鎮圧した皇帝は、すべての領土を直接支配する方針に転換した。
ただ、無理やり支配しても長続きしないことはわかっていた。
そこで忠実な家来を採用するにはどうすればいいか考えていたところ、上下関係を重んじる儒教という考えが好都合だ、学者からのアドバイスもあって、それをこの国の「正義」ということにしようということになったんだ。
当時の皇帝にとって一番のライバルは地方の実力者たちだった。山や川を何個も持っている者さえいる。皇帝は、役人になってみたい者を採用する仕組みをつくったのだけど、地方の実力者の意見が強くて、皇帝には誰を採用するかという決定権はほとんどなかった。
皇帝も大変なんですね。もっとパワーがあるのかと思ってました。
―彼らのご機嫌をとることも大切だからね。この時代の皇帝の力はこんなもんだ。
ただ、領土はこの時代にかなり広がるよ。西の方にある砂漠地帯のオアシスの国々も支配下に組み込んだ。
世界各地からビジネスマンが集まる重要ポイントだ。
いかに皇帝が素晴らしいかということをアピールするために、歴史書もつくられているよ。ただ、領土が広がればそれなりにお金も必要になる。
経済改革がおこなわれたんだけど、皇帝の周りに「自分のこと」ばかり考える人たちが群がるようになっていき、しだいに国のパワーは衰えていくことになる。
この時代、中国の支配は朝鮮半島にも及んだ。支配のための役所が四か所に置かれている。
◇前200年~紀元前後のアジア 東南アジア
この時代は海の貿易が盛んになるんですよね。
―そうだよ。その通り道になったのは東南アジアだ。
中国の国(注:前漢「う」)から、「3」の南シナ海を抜けて、「2」のベンガル湾の先のインドに向かうルートの途中にあるのがわかるよね。
東南アジアの大部分は熱帯気候だから、熱帯の海や森の産物が珍重されたんだ。
中国の皇帝も富を求めてベトナム(地図)に進出し、役所を置いている。
◇前200年~紀元前後のアジア 南アジア
―この時代のインド(地図)は分裂しているね。
北西のほうに山だらけの地域(注:アフガニスタン(地図))があるんだけど、ここではギリシャ人の王国が栄えているよ。
なんでこんなところにギリシャ人が?
―昔、ギリシャの王様がここまで遠征しに来たことがあったよね。
その子孫がここにこうやって住んでいるわけだ。
ギリシャって狭いから、こうやってあちこちに移住して町をつくってビジネスしていたんだよ。
仏像をつくる文化を伝えたのも、ギリシャ人の功績だ(注:ガンダーラ美術)。
彼らの王国は北からやってきた遊牧民に滅ぼされ、またさらに別の遊牧民へと支配者がめまぐるしく移り変わった。で、この場所に住んでいた民族の一派が、山を越えてインドに支配エリアを広げ、インド北部にまたがる大きな国をつくったんだ(注:クシャーナ朝)。
「インドの国」っていうか、ちょっとはみ出てますね。
―今の国境線で考えるとはみ出ているけど、まあ彼らからすれば豊かなインドを支配したかったわけだろうね。
一方、インドの南のほうでは、山を拠点に港町も支配する大きな国ができる。この国は貿易ビジネスでとっても栄えるよ。
インドはユーラシア大陸のちょうどど真ん中にあるからね。
インドの商人は東南アジア方面にも盛んに進出しているよ(地図の「2」(ベンガル湾)を通って、マレー半島を超え、「3」(南シナ海)にまで至っていた)。
◇前200年~紀元前後の西アジア
この時代はローマが地中海の覇者へと出世する時代だ。
最大のライバルであった老舗(しにせ)のカルタゴ(フェニキア人)を破り、その後地中海を取り囲む広大な領土を手にしていくこととなる。
でも今度は新たに手に入った土地をめぐって内輪もめが勃発。
1世紀にわたる混乱の中では、奴隷が反乱したり独裁者が現れたり、本当に危機的な状況だった。これを軍事力でおさめた貴族出身の政治家は、みずからを神の子孫と名乗り、全ての領土で軍隊を思いのままに動かすパワーを掌握した。
でも、力ずくにで支配すると反感を買いますよね?
―だよね。
だからこの政治家は、伝統的にローマの政治を握っていた貴族たちとのバランスをうまくとろうと必死になるんだ。
「僕はあなたたち貴族のことを尊敬しています。僕なんて大したことないっす」ってね。
敵に回すと怖い人は誰か、よくわかっていたんですね。
―そう。じつに用意周到だ。
対外的には、この時代に領土はぐっと広がって、軍隊が置かれた町はそのまま大都市に発展して今に至るよ。
たとえば、パリ、ロンドン、ウィーン…どれもこの時代につくられた軍事都市だ。
ただ、支配が強まると反抗も起きるよね。
地中海の東岸のパレスチナ(地図)というところでは、ユダヤ人がローマの支配を受けていた。苦しむ人たちの中から次の時代に「キリスト教」という宗教が生まれることになるよ。
キリスト教って、アメリカとかヨーロッパで生まれたんじゃないんですね。
―そうそう、そういうイメージがあるけどね。発祥の地はアジアなんだよ。
◆前200年~紀元前後のアフリカ
アフリカには王国はありますか?
―東部(北を上にして右の方)のエチオピア(注:下の地図)や、現在のスーダンのというところ(注:メロエ王国)に、貿易をコントロール下におさめた支配者がいるよ。
ここは乳香という特別な香りのする物質の特産地。
インドや地中海との貿易ビジネスに成功し、いろんな民族が集まるインターナショナルな国だったんだよ(a=地中海、b=紅海、c=アラビア海をつなぐ貿易の中心地だったんだ)。
また、ナイル川の河口は、ギリシャ人の王様の国(注:プトレマイオス朝)があって、この地域屈指の大都市として発展している。結局ローマ人によって征服されちゃうけどね(注:最後の女王はクレオパトラ)。
もうピラミッドはつくられていないんですか?
―さすがにもうピラミッドはつくられていないけど、王はギリシャ人とは言えども、住民を納得させるために「ファラオ」という称号を用いたんだ(注:下図の彫刻はプトレマイオス9世のもの)。
伝統を重んじながら、工夫して支配しようとしたんですね。
―この時代のファラオの業績について書かれた碑文(注:ロゼッタストーン)が発見されている。エジプト古来の文字に加えて、同じ内容がギリシャ文字も刻まれていたんだよ。
で、エジプトのギリシャ人による支配は長続きしたんですか?
―ううん、この時期には「出世」したローマの領土に飲み込まれてしまったよ。
最後の女王はローマの政治家にSOSを求めたけど、結局そのライバルの政治家によって倒されてしまったんだ。悲劇の最期(さいご)はのちに劇や映画のテーマにもなっているね。
当時のヨーロッパの様子は?
―この時期にローマはヨーロッパの内陸方面に進出しているけど、この頃のヨーロッパにはまだ大きな国には発展する勢力は不在だった。
そんな中、ローマはケルト人を倒して支配を広げた(注:カエサルのガリア遠征)。
でも当時のヨーロッパは依然として森だらけ。川を挟んでケルト人との戦争が続いたけど、征服することはできなかった。
ヨーロッパの国ってABC…のアルファベット(ローマ字)を使ってますよね。これってローマと何か関係ありますか?
―よく気づいたね。
この時代にローマがヨーロッパに支配を広げた影響のひとつだね。
ロンドンやパリ、ウィーンといった今につながる大都市も、この時期に建設されたんだよ。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊