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"今"と"過去"をつなぐ世界史のまとめ

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2023年12月の記事一覧

ニッポンの世界史【第4回】東洋史の「再発見」 : 宮崎市定・古代文明・トインビー

宮崎市定 「ヨーロッパは後進国だ!」  戦前の日本における東洋史は、中国史のウエイトが多くの割合を占めていました。  しかし、いわゆる京都学派の宮崎市定のように、アジアが世界史に果たした役割を重視し、アジアを射程にいれた世界史を描こうとする試みも、すでに戦前からありました。  たとえば、文部省の要請により宮崎も編纂委員として関わった『大東亜史』(未完)の冒頭部分をもとに戦後刊行された『アジア史概説』は、東洋史の学習指導要領(試案)でも参考図書に挙げられています。  オリエント

ニッポンの世界史【第3回】世界史の「氾濫」

「教科世界史」は、なぜ暗記地獄化したか?  前回みたように、「科目」としての世界史は、戦後まもなくの混乱期に、学問的に深い議論が交わされることなく誕生したものでした。  そもそも学問としての世界史自体、未確立だったこともありますが、その輪郭が不確かであったからこそ、文部省の教科書調査官や歴史学者、教員、予備校講師、それに作家に至るまで、さまざまな人々の手が加わり変化し続ける余地ができた面というもあるでしょう(注1)。  とくに戦後まもなくは、教員がみずから世界史という科目

【第2回】ニッポンの世界史:日本人にとって世界史とはなにか?

「世界史」という科目は、どのようにして生まれたのか?  前回、1949年に「世界史」という科目がつくられたと述べました。  どのような経緯で「世界史」という科目が置かれたのでしょうか?  今回はちょっとお堅い内容にはなりますが、「科目世界史」がどんなふうに誕生したのか、その秘話をきちんと確認しておかねばなりません。  まずは戦後まもなくの状況を確認しておくことからはじめましょう。 戦後の新科目「社会科」  1945(昭和20)年9月2日、1945(昭和20)年9月2日、東

【はじめに】ニッポンの世界史:日本人にとって世界史とはなにか?

2010年代の世界史ブーム—疫病・戦争・生成AI  まもなく22世紀を迎える2100年の人々が21世紀初頭の世界をふりかえったとしよう。そこではどのような出来事がとりあげられるだろう?  「まもなく終わる21世紀」の幕開けにふさわしい出来事として選ばれるのは、いったい何になるのだろうか?  疫病の流行、大国による戦争、それとも生成AIに代表されるイノベーションか。あるいは気候変動、難民危機、持続可能な開発目標、新興国の台頭、あるいは権威主義やポピュリズムの拡大か—。  こう

【みんなの世界史】古代ローマはだれのもの? イタリア・フランス・ドイツ:記憶をめぐる対立

このように語られることは、現代でも少なくありません。 たとえば18世紀後半の歴史家ギボンは、ベストセラー『ローマ帝国衰亡史』で次のように書いています。 ここで蛮族(ばんぞく)、つまり野蛮な民族とみなされているのはゲルマン人です。  当時のローマ帝国とゲルマン人の境界はリーメスとよばれた国境線があり、その近辺には軍団が配置されていました。現在のような国境線のようなものではありません。ドナウ川のレーゲンスブルグ上流から、ライン川のコブレンツまで、全長約600キロの堀と土塁が