「世界はジャズを求めてる」2022年2月第1週(2月3日)放送分スクリプト(出演 村井康司)#鎌倉FM
テーマ曲:What A World Needs Now Is Love/Stan Getz
こんばんは、毎週木曜午後8時からお送りしている「世界はジャズを求めてる」、第一週は音楽評論家の村井康司がお届けします。
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今日は、2021年12月29日に97歳で亡くなられた日本ジャズ評論の最長老、瀬川昌久さんを追悼する番組です。瀬川さんは1924年東京生まれ、戦前からジャズを愛好し、ミュージカルにも造詣が深く、ジャズでは特にビッグバンド・ジャズを愛しておられました。私は1978年、大学生のときに瀬川さんに初めてお目にかかり、それから43年間、さまざまなことで本当にお世話になりました。今日は心からの感謝を込めて、瀬川昌久さんが愛した音楽をご紹介したいと思っています。
最初は、瀬川さんが初めて好きになった外国曲です。瀬川さんはお父さんの仕事の関係で2歳から3歳にかけてロンドンにお住まいになり、そのとき手回し蓄音機でよく聴いたのがこの曲だそうです。ジェローム・カーン作曲の「Who?」。今日はフランスで大スターになったアメリカ人歌手、ジョセフィン・ベイカーの歌で聴いていただきます。
M1 Who? / Jposephine Baker
ジョセフィン・ベイカーの歌で「Who?」でした。この曲は瀬川さんのお母さんがお好きで、子守唄代わりによく歌っておられたとのこと。そして次の曲も、お母さんが好きだった曲「アラビヤの唄」です。この曲はアメリカの曲でして、堀内敬三という人が日本語詞をつけて、二村定一の歌でヒットしました。今日はアメリカの日系二世で、戦前の日本で活躍した歌手、川畑文子のヴァージョンをおかけします。
M2 アラビヤの唄 / 川畑文子
川畑文子の「アラビヤの唄」でした。彼女は英語が堪能なので、2番は英語で歌っていますね。このように、昭和初期の日本、特に東京ではジャズが普通に聴かれていて、瀬川少年はジャズとレビューにのめり込んでいきました。次は昭和15年に、戦後「ブギの女王」と呼ばれるようになった笠置シヅ子が歌う「ラッパと娘」です。
M3 ラッパと娘 / 笠置シヅ子
笠置シヅ子の「ラッパと娘」でした。この曲は服部良一作詞作曲で、瀬川さんは帝劇で笠置シヅ子が歌うのを生で聴いたとのこと! こうして日本のジャズも熱心に聴いていた瀬川さんですが、もちろんレコードでアメリカのジャズも集めておられました。瀬川さんが収集したSPレコードを集めた「瀬川昌久コレクション」というCDが何枚か出ておりまして、次はその中から、アメリカの女性コーラスグループ、ボスウェル・シスターズの「I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter」です。
M4 I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter / The Boswell Sisters
ボスウェル・シスターズの「I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter」でした。「手紙でも書こう」とか「ひとりもののラブレター」なんて日本語の題名が付いていたりもします。こうしてジャズ三昧の日々を送っていた瀬川さんですが、昭和16年12月8日、日本海軍の真珠湾攻撃によって、とうとう日本とアメリカは戦争に突入しました。その日、17歳だった瀬川青年は何をしたか? なんと自宅でこの曲を大音量で聴いて両親にたしなめられたんです! トミー・ドーシー・オーケストラの「カクテル・フォー・トゥー」です。
M5 Cocktails For Two / Tommy Dorsey Orchestra
トミー・ドーシー・オーケストラの「カクテル・フォー・トゥー」でした。アメリカと戦争が始まった日に、アメリカのジャズを大音量で聴く、というのはすごい反骨精神だと思います。瀬川さんは物静かで温厚な紳士なのですが、実は強靭な自由を求める心をお持ちでした。そして戦争になって、アメリカやイギリスの音楽はご法度になったわけですが、バンドの名前を日本語に変えたり、自分たちでオリジナルを作ったり、日本民謡をジャズにしたり、と、さまざまな手段でミュージシャンたちは「洋楽」を演奏し続けました。次にご紹介するのは、瀬川さんの学習院時代の先輩たちが結成したハワイアン・バンド「カルア・カマアイナス」が戦争中の昭和17年に録音した曲、「熱風」です。スティール・ギターの見事な演奏に驚きます。
M6 Hot Wind (熱風)/ カルア・カマアイナス
「カルア・カマアイナス」が昭和17年に録音した曲、「熱風」でした。瀬川さんは学習院高等科を卒業して東大に入学、昭和19年に海軍に召集され、戦後しばらくは氷川丸に乗って戦地からの兵士たちの復員の業務をしたのち、大学に復学して富士銀行に就職します。もちろん、ジャズを浴びるように聴く生活に戻ったわけですね。そして、瀬川さんが大好きなビッグバンド、クロード・ソーンヒル・オーケストラのレコードで、瀬川さんの終生のアイドルでのちに友人となった、ギル・エヴァンスの音楽に出会います。
次はギル・エヴァンス編曲、クロード・ソーンヒル・オーケストラの演奏です。曲はチャーリー・パーカーの「ヤードバード組曲」。
M7 Yardbird Suite / Claude Thornhill Orchestra
ギル・エヴァンス編曲、クロード・ソーンヒル・オーケストラの演奏で、チャーリー・パーカーの「ヤードバード組曲」でした。アルトサックスのソロはリー・コニッツです。
さて、昭和28年のことです。瀬川さんは銀行の仕事でニューヨークに駐在することになりました。ジャズの本場で、スウィングやビバップの大物がまだ元気で活躍していたニューヨーク。なんと瀬川さんはカーネギー・ホールでチャーリー・パーカーとスタン・ケントン楽団の共演、ビリー・ホリデイ、バド・パウエルを生で観たんです! 日本人でパーカーやビリー・ホリデイを生で観た人ってごく少ないはずですが、瀬川さんはその一人です。瀬川さんがパーカーとケントンを観た翌年、1954年に録音された両者の共演です。曲は「チェロキー」です。
M8 Cherokee/ Charlie Parker & Stan Kenton
チャーリー・パーカーとスタン・ケントン楽団の共演で「チェロキー」でした。さて、クロード・ソーンヒル楽団を経てフリーの編曲家となったギル・エヴァンスは、マイルス・デイヴィスの9重奏団にアレンジを提供します。のちに『クールの誕生』というタイトルのアルバムになった演奏から、ギル・エヴァンスの編曲で「バップリシティ」をお聴きください。
M9 Boplicity/ Miles Davis
マイルス・デイヴィス『クールの誕生』から、ギル・エヴァンス編曲の「バップリシティ」でした。ギルの大ファンとなった瀬川さんは、1956年から58年にかけて、2度めのニューヨーク駐在を命じられました。その滞在中もたくさんのジャズを生で聴いた瀬川さんのとって、特に感銘深かったのは、「ギル・エヴァンス・アンド・テン」というギルのアンサンブルを生で聴いたことだったのでしょう。では、アルバム『ギル・エヴァンス・アンド・テン』から、瀬川さんが特に好きだという曲「Nobody’s Heart」です。
M10 Nobody’s Heart / Gil Evans
アルバム『ギル・エヴァンス・アンド・テン』から「Nobody’s Heart」でした。瀬川さんは1958年7月にはニューポート・ジャズ・フェスティヴァルにも行き、有名な映画『真夏の夜のジャズ』にも一瞬写っているみたいです。私は何度か観たのですが、残念ながら確認できていません。そして1972年、ギル・エヴァンスが初めて来日公演を行いました。このときはトランペットのマーヴィン・ピーターソンとテナー・サックスのビリー・ハーパー以外は日本のミュージシャンで、ピアノの菊地雅章が双頭リーダー名義のレコードが制作されました。瀬川さんはその際、銀行を休んでギルと行動を共にしたそうです。では、その時のアルバム『菊地雅章+ギル・エヴァンス・オーケストラ』から、ギルの曲「イレヴン」を聴きましょう。
M11 Eleven / Gil Evans
菊地雅章+ギル・エヴァンス・オーケストラ』から、ギルの曲「イレヴン」でした。ギルはこのあと、1976年、83年に来日しました。83年には、大学ビッグバンドのOBたちが中心となってギルの歓迎会を西新宿の小さなホールで開き、ギルとバンドのメンバーたちが最後まで熱心に聴いていたことが懐かしい思い出です。
ビッグバンド・ジャズを愛していた瀬川さんにとって、最も好きなバンドはクロード・ソーンヒル、ギル・エヴァンス、そしてデューク・エリントンだったのでは、と推測します。今日は時間があまりないので、エリントンを2曲だけかけましょう。CD『ブラントン・ウェブスター・バンド』から「イン・ア・メロウ・トーン」、そして、1945年5月に録音されたヴァージョンで「キャラバン」を続けて聴いてください。
M12 In A Mellow Tone / Duke Ellington Orchestra
M13 Caravan / Duke Ellington Orchestra
デューク・エリントン・オーケストラで「イン・ア・メロウ・トーン」、「キャラバン」でした。
さて、戦前のジャズについての情熱も、瀬川さんはずっと保ち続けていました。1979年に「オンシアター自由劇場」が上演した「上海バンスキング」は、戦前に上海に渡ったジャズメンたちが主人公の劇でしたが、瀬川さんはモデルとなったオールド・ジャズメンたちを紹介したり、選曲のアドバイスをしたりと、熱心に協力されました。次におかけするのは、吉田日出子の歌、自由劇場の俳優たちの演奏による「貴方とならば」です。この曲は戦前に川畑文子が歌った曲で、「上海バンスキング」の中でも特に印象的な曲です。
M14 貴方とならば / 吉田日出子
吉田日出子の歌、自由劇場バンドの演奏で「貴方とならば」でした。瀬川さんを語る上で忘れてはならないのは、いつも若いミュージシャンを熱心に応援し、ライヴ会場に熱心に足を運び、ファクスや電話などで激励しアドバイスをする、という姿勢についてです。たとえば、次におかけする挟間美帆がデビューしたとき、会う人みんなに素晴らしい作編曲家がデビューしたのでぜひ聴いてほしい、とアピールしたのが瀬川さんでした。2012年リリースの挟間美帆のデビュー作『ジャーニー・トゥ・ジャーニー』から、レディ・ガガの曲で「パパラッチ」です。
M15 Paparazzi / 挟間美帆
挟間美帆『ジャーニー・トゥ・ジャーニー』から「パパラッチ」でした。
さて、そろそろお別れです。瀬川昌久さんは、自分が逝ったらこの曲で送ってほしい、とおっしゃっていたそうです。クロード・ソーンヒル楽団のクロージング・テーマ、「今日はこれで終わり」という意味の曲、「レッツ・コール・イット・ア・デイ」でお別れします。
M16 Let’s Call It A Day / Claude Thornhill Orchestra
今聴いていただいているのは、クロード・ソーンヒルの「レッツ・コール・イット・ア・デイ」です。「世界はジャズを求めてる」、 1月第一週のお相手は、音楽評論家の村井康司でした。今日は昨年12月29日に亡くなった音楽評論家、瀬川昌久さんの追悼番組をお送りしました。来週の進行役は、音楽書籍編集者の池上信次さんです。
では毎週木曜午後8時から、鎌倉FMにチューンインを! またお会いしましょう!
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世界はジャズを求めてる」は鎌倉FMで毎週木曜午後8時から1時間(再放送は毎週日曜昼の12時から)、週替りのパーソナリティが、さまざまなジャズとその周辺の音楽をご紹介するプログラムです。
進行役は、第1週が村井康司、第2週が池上信次、第3週が柳樂光隆、第4週がeLPop(伊藤嘉章・岡本郁生)、そして第5週がある月はスペシャル・プログラムです。
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