人間理解の一方法 人工知能的視点

※ 以下の文章ではルールベースシステムと呼称しているが、一般的にはエキスパートシステムと呼ばれていて、最近だとIBMのwatsonの一部だった気がする。

ざっくり人間の言動を理解しようとしたときの観点の一つとして、ルールベースシステムの捉え方が便利だと思う。

ルールベースシステムとは、if... then... の形で記述されるルールを用いて推論を行うシステム。このif thenのルールは、人間ごとの経験によって蓄積される。

客観的といわれる人は客観性が高いルールを多用する人。主観的といわれる人は主観的なルールを多用する人。

他人の話に論理的飛躍を感じるときは、互いで共有されていないルールを相手が用いた場合。その場合はルールの共有を試みるか、その飛躍自体を一つのルールとして自分が記憶するか。

特に複数人が当たり前のこととしている場合、「そのコミュニティのルール」だと推測し、それを記憶するという選択をとる人間は多い。

因みにこのルールを分析していくと、後天的に獲得されるルールは感覚器官の経験になる。また、先天的に保持しているルールも多数存在する。感情的反応とか、本能的反応とか。脳の仕組み的なもの。


後天的ルールの例:
・if 石がある。石を持ってくる。 then 石と石がある。
・if 火に近付く。 then 熱い。
先天的ルールの例:
・if 不快 then 不愉快になる
・if 快 then 繰り返そうとする


客観的思考というのは、私の感覚的には「どうやら他の人も同じルールを持っているようだ」と経験の中でその認識が強化されたルールを使用すること(だと思ってる)。

論理的思考というのは、後天的に蓄積された複数のルールから特定の法則性を見出し、それを抽象化して獲得したルールを使用すること。または、そもそもの推論エンジンをカスタマイズして、実際の経験と不整合を起こさないような推論を可能にする思考(だと思ってる)。

インターネットとかで意味不明な主張を見かけたとして、それは当人にとっては至極真面目に、自身の持つルールと推論エンジンで導き出した答えであるか、愉快犯的に意味不明さを装っているかのどちらか。後者は相手にしないとして、前者に対して一般的には論理的・客観的とされる指摘をしても意思疎通ができないことがある。これは視点を反対にして当事者側から見れば、そっちだって意味不明なルールと推論エンジンで主張してきてるじゃないかとなる。なので相手の言動を批判する前の態度の一つとしては、一旦相手がどんなルール群を用いて、どんな推論エンジンを使用しているのかを探るという姿勢もあるとは思う。そのコストをかける必要があるかどうかは価値観次第だけれども。

因みにどうでも良い相手には「ああ、なんか訳わかんないことしてるけど、それがこの人のルールなんだな」とスルーすると楽な気がする。実害が及びそうな場合は、推論エンジンにエラーが起きていないか、また、そのルールを細分化し、どこが共有できてないのか、自分がルールを受け入れるのか、相手にルールを受け入れてもらうのかということをする必要がある。

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