寺院と向き合う中で悲しいこと
莫大な予算をかけて樹木葬や永代供養墓、イベントなど外向きの投資を行うお寺にかぎって檀家さんに向き合うためのお金はかけない。
檀家さんのために携帯電話代程度の費用で心を寄せていく仕組みづくりができる提案をしても、そこには「高い!」とおっしゃっるお寺に出会うとなんというか悲しい。
「こんなにすごいものをその価格で大丈夫なんですか?」
「こういうものが必要だとおもってた。そのくらいならありがたい!」
とむしろ安いと心配してくれたり、感謝してくださるお寺もいらっしゃるので寺院の意識差によるものだろう。
業界のとある人には「お寺はなんだかんだ言い訳して基本的なとこはやりたがらないから池邊さんの仕事も大変でしょ?」と暗にうまくいかないのでは?と言われたこともある。
たしかに、一部ではあるもののそういった意識の層がいるのは事実。
その層を見限って意識が高いとされている(意識高いとか低いとかレッテルを貼るのは個人的には好きではないが)お寺の周りにはいろんな業界内外の情報がはいり、どんどん意識差が広がっている。
情報が入りすぎて迷走しているお寺もあるがそれでも檀信徒や地域のために変わろうと必死で活動されている。
だから、すでに変化しようとするお寺に集中して変わろうとしないお寺を諦めるように勧められることは多々ある。
ビジネスの観点で言うと一理ある。
でも仏縁を私は信じているし、仕事は私の人生の使命だと思っている。
縁があるということは互いに何かあるのだ。
なにより、そのお寺に先祖代々お世話になり、今もそのお寺を介して信心されている檀家さんがいる。
だからこそ、強欲な話だけど、縁があったのだから、何か1つでも私と出会う前よりも出会った後にそのお寺と檀家さんにとって価値あることを残したい。
コミュニティの崩壊とお寺離れが加速してる中で、今まで通りの体制ではいられない事実をどのように理解していただき、意識をアップデートしていただくか。
これは課題だし、私が出会ったお寺にこういった層がいたらそこをどう理解していただくのか。
うちと契約するとか、そんなことはどうでもよくて、お寺として目の前の檀信徒に、未来の檀信徒にどう接していくのか?
そこを真剣に考える最後の時なのだと気付いていただけるように精一杯、個別に訴えかけて、悲しく感じる寺院の数を減らしていきたい。
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